ウイルソン金井の創作小説

フィクション、ノンフィクション創作小説。主に短編。恋愛、オカルトなど

創作小説を紹介
 偽りの恋 愛を捨て、夢を選ぶが・・。
 謂れ無き存在 運命の人。出会いと確信。
 嫌われしもの 遥かな旅 99%の人間から嫌われる生き物。笑い、涙、ロマンス、親子の絆。
 漂泊の慕情 思いがけない別れの言葉。
 忘れ水 幾星霜  山野の忘れ水のように、密かに流れ着ける愛を求めて・・。
 青き残月(老少不定) ゆうあい教室の広汎性発達障害の浩ちゃん。 
 浸潤の香気 大河内晋介シリーズ第三弾。行きずりの女性。不思議な香りが漂う彼女は? 
 冥府の約束 大河内晋介シリーズ第二弾。日本海の砂浜で知り合った若き女性。初秋の一週間だけの命。
 雨宿り 大河内晋介シリーズ。夢に現れる和服姿の美しい女性。
 ア・ブルー・ティアズ(蒼き雫)夜間の救急病院、生と死のドラマ。

ウイルソン金井の創作小説の新着ブログ記事

  •    謂れ無き存在 ⅩⅤ 

    《はい、はい、仕方ないか・・》 「はい、持って来たよ」  俺はできる限り目を逸らし、バス・タオルを渡す。浴室のガラス戸が開き、真美の腕が現れた。俺は咄嗟に目を瞑る。湯気に絡んで、爽やかなボディ・ソープの香りが漂った。 「ありがとう・・」 「いいや、べつに・・」  俺は居間へ引き返す際に、ガラス戸越... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 ⅩⅣ 

    「ううん、誰からも。ただ、何故か記憶に残ってるの」 「多分、お母さんが、子守唄で歌ってたかも知れないね」 「そうかもね・・」  真美が紅茶を運び、洒落たガラス張りのローテーブルに置く。そして、俺の横に座り、体をぴたりと寄せた。真美の熱い体温が俺の体に侵略を試みる。俺の軽い脳は、彼女の熱い息遣いに反... 続きをみる

  •    謂れ無き存在 ⅩⅢ 

    「今、連絡してみたら、早い方がいいわよ」 「そうだね、電話してみるか」  携帯を取り出し、渡されたメモの番号に掛ける。 「もしもし・・」 「いつ電話してくるかと、待っていましたよ」  俺からの電話が、必ず掛かって来ると分かっていたようだ。 「あっ、はい・・」 「ところで、傍に居るのは真美さんでしょ... 続きをみる

  •    謂れ無き存在 ⅩⅡ 

     真美は俺の顔を見詰めたまま、黙って聞いている。 《今までの俺は、負け犬なんだ。実際は強くない。空威張りしているだけさ・・》 「真美を撥ねつける勇気が無い。直ぐに受け入れたい。でも、でも・・。俺は君のことを、なんにも分かっちゃいない。歳だって知らないんだよ」  真美の瞳が輝くのを感じた。 「分かっ... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 ⅩⅠ 

     俺は、間違いなく夢の中にいる。ナポリタンの味がする夢の中だ。こんな夢物語が、現実に在り得る訳がない。  たった数時間前に出会って、愛を語り。初めて抱く女性の体。官能的なくちづけ。 《夢なら覚めないで欲しい。真美が幻でなく、本当の真美であって欲しい》 「洸輝、ねえ、洸輝! どうしたの? ボーっとし... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅹ 

     ふたりは話のことを忘れ、気持ちを料理に向けていた。 《この家庭的な雰囲気は、俺にとって無縁な環境だったな。望むことさえ考えていなかった》  俺は鍋の茹るパスタを見詰め、幸せの味を考えていた。 《甘い、辛い、それとも苦いのだろうか。小さい頃は、味なんて考えてもいなかった。施設の仲間とたらふく食べる... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅸ 

    「分かった、一緒に行こう。でもさ・・。その前に、真美のことが知りたい」  俺は気心が知り得たと考え、肝心な事を切り出す。すると、彼女の表情が硬化した。 「話すのが苦痛なら、追々でいいよ」  真美を追い詰める気持ちはない。待つしかないと思った。 「いいえ、話すわ。もう、隠す必要がないもの。洸輝さんに... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅷ 

     俺の唇に、微かに触れた真美の唇。触れる寸前に、彼女の芳しい息が俺の鼻をくすぐる。その柔らかな唇と爽やかな息が、真美の初々しい情味を伝え俺を震撼させた。  真美の真情が理解でき、俺は彼女の肩を引き寄せる。 「あ~、・・・」  真美が甘い吐息をつく。俺の感情の箍が緩み、煩悩で真美の唇を吸ってしまった... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅶ 

     運転中の真美は、真剣な眼差しで前方を見詰めている。白い肌の耳元に、小さなほくろを見つけた。その横顔に俺は見惚れる。 《真美の奥に秘められた、本当の姿が分からない。実際のところ、歳だって曖昧だ。幼く麗かな表情を見せるかと思えば、年上の気品さが滲み出る》  車は彼女の言葉とは裏腹に、可なりの距離を走... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅵ 

     俺はケーキを食べながら考えていた。 《確かに運命で結ばれたとしても、俺の出生や過去のことを知れば、真美は離れて行くだろう。過去を明らかにして、判断を委ねた方がいいかも。彼女を不幸にさせる訳にはいかない》  真美が徐にフォークを置き、カップの紅茶を静かに飲む。そして、俺の瞳を覗き込んだ。俺はそれに... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅴ

     彼女は目を瞑り思案しているようだ。恐らく、俺の心を解釈しているのだろう。目を開けると、二度ばかり首を振る。 「これからは、洸輝さんと呼ぶわ。いいでしょう?」 「・・・」 「そして、私のことを、真美と呼んでね」  俺は唖然とした。 《俺は彼女の言いなりか? 俺の立場は、どうなるんだ? これが与えら... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅳ

     メモを見て、何かを考えていた。 「何を考えているんですか?」 「う~ん、そうね~。一緒に行っても良いかしら?」  俺は興味もなく、行くなんて考えてもいなかった。 「別に・・、だって、俺は行くつもりなんてないから・・」 「いいえ、あなたは必ず行くわ」 「えっ、なんで、行く必要があるの? 俺は行かな... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅲ 

    「俺は、あなたを知りません。初めてですが・・」 「ええ、私もよ。だって、あのセミナーに参加したのは、今日が初めてですもの」 「いや、俺も初めて参加した」  俺は、彼女の瞳を初めて見ることができた。 《なんだ! この瞳は・・。俺の魂が吸い込まれる。あ~、綺麗だなぁ~》  彼女の瞳を見詰めたまま、俺の... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅱ 

    「俺の運命が真っ白! そうですか・・」 「いや、がっかりしなくても、いいと思うよ」  講師は、俺の目を見詰めた。ふっとため息を吐き、俺の肩をポンポンと叩く。そして、一枚のメモを俺に渡した。 【君に話すことがある。いつでも良いから、私の家に来なさい。住所は裏に書いてある。できれば、来る前に電話を掛け... 続きをみる

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  •    謂れ無き存在 Ⅰ 

     今、人は夢の中にいる。本当の現実社会を知らない。それで良いのかと悩む。いや、悩む必要はないのかも・・。夢こそ現実だからだ。人は夢を見ながら生きている。最後の時に、現実を知る。歩んだ人生を後悔するか納得させるか、自らに判断を委ねるためであろう。  人の生き方は、産まれた環境でほぼ決まる。だが、運命... 続きをみる

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  • 続 忘れ水 幾星霜 (別れの枯渇)Ⅳ 

     翌週の日曜日、ミサの後に洗礼を受けた。洗礼名はマルシア。マルガリータ園長、佐和やマルコスなどが参列して、洗礼の儀式を見守る。神父が、亜紀の頭上に聖水を注ぐ。 《そう、この水が永遠の忘れ水ね》  亜紀の左手の薬指と首かざりの指輪が、一瞬の温もりを感じさせる。それは、輝明が彼女の洗礼を祝福したと亜紀... 続きをみる

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  • 続 忘れ水 幾星霜 (別れの枯渇)Ⅳ 

     三ヶ月後の五月、亜紀は独りで水沢山を訪れた。整備された小道を登る。頂上に立ち、一望の景色を眺めた。季節は異なるが、眺める風景は変わっていなかった。彼女の長い髪の一本一本を、爽やかな風が愛でるように触れて行く。  その風の感触は、輝明が優しく撫でる感覚に似ている。 「あ~、輝君・・」  亜紀は、彼... 続きをみる

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  • 続 忘れ水 幾星霜 (別れの枯渇)Ⅲ 

     輝明の兄は、言葉を続けることができない。亜紀は嫌な予感に手が震え、支える何かを求める。心の奥から声を絞り出し、兄が伝えたい言葉を尋ねた。 「お兄さん、輝君・・に、何が・・、起きたのですか?」 「実は・・、弟が、亡くなり・・・ました」  兄の言葉に、亜紀は信じられなかった。 《うそ、うそでしょう。... 続きをみる

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  • 続 忘れ水 幾星霜 (別れの枯渇)Ⅱ

     太田インターから桐生に差し掛かる。高崎まで三十キロ程の地点だった。突然、右前方の車がスリップし、中央分離帯に追突した。その後ろに走行していたトラックが、急ブレーキを掛け輝明の車線側にハンドルを切った。その車は、輝明の前を走るワンボックス車に激突。 「わぁ~、危ない!」  彼は大声を張り上げ、ブレ... 続きをみる

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  • 続 忘れ水 幾星霜 (別れの枯渇)

     成田空港の明かりが遠ざかる。雲間を通り過ぎると、満天の星が輝いていた。その星が涙で歪む。 「マルシア、悲しくて、泣いているの?」 「ううん、悲しい涙ではないの。涙には、沢山の意味があるのよ」  マルコスが、ポケットからティシュを取り出し亜紀に渡した。 「ありがとう・・。これでいいのかと思うと、何... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   ⅩⅢ 完 

     ホテルの部屋から、兄の家へ電話した。 「はい、金井ですが?」 「あ、お義姉さん? 輝久です。高崎に着きました」 「ああ、お疲れ様。長旅で疲れたでしょうね。今は、どこに?」 「駅前のホテルです。しばらくしたら、病院へ行きます。貴志君に伝えてください」 「まあ、そうなの・・。今まで病院にいたのに・・... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   ⅩⅡ 

     そこにいたのは姉の子、十三歳の順子と十一歳の龍男であった。姉が私を抱きしめたように、私がふたりを抱きしめる。 「姉ちゃん・・。幼いふたりを残し、辛かっただろうね」  ふたりの温もりは姉の温もりであり、無念な姉の気持ちが私に伝わった。おそらく、父も姉の死後四ヵ月は、幼い孫ふたりに慈悲の心で見守って... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   ⅩⅠ 

    「オヤジさんには、早く伝えるように言ったけど・・。お前の気持ちを考えると、知らせる勇気が無かったようだ」 「どうして?」 「病院の説明では、心不全と言われた。亡くなる二日前、お見舞いに行ったが元気な様子だった」 「そうか・・、本当に残念だ。それにしても、オヤジさんは辛かっただろうね」  私は気丈に... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   Ⅹ

     数年後、日系三世の女性と結婚し、三人の子の父親になる。  残念なことに、私が望んだスカウトの開拓農場は既に閉鎖されていた。先輩たちは、其々に活躍できる日系社会の職場で働いている。私は、数人の先輩と日系子弟のボーイ・スカウト隊を結成。私が初代の隊長となった。  大自然を活用するブラジルのキャンプは... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   Ⅸ 

     その日、貸し切りバスに乗り、およそ三時間ほどで細江先生の別荘に到着。別荘は農園に囲まれ、都会の喧騒は聞こえない。清楚な建物が見えると、私の心音は高鳴った。バスから降りる足元が覚束ない。  簡素なベランダに、人影が現れた。子供たちは左手の奥にある広場へ向かう。細江先生が、私の姿を探し当てた。両手を... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   Ⅷ 

    「僕は、この印刷会社を始めて、良かったと思っているんだ。オヤジさんが一番満足している。自分の仕事のように、生き生きとしているだろう」 「じゃあ、兄ちゃんの生きがいは・・?」 「もちろん、ボーイ・スカウトだろうなぁ。この十五年、色々なことを学び教えられた。それに、会社を始めるきっかけにもなったからね... 続きをみる

  •    恵沢の絆   Ⅶ 

     受付の青年が丁寧に道筋を教えてくれた。初めての東京であったが、お陰で迷うことなく、目黒の孤児院を訪ねることができた。真っ黒に日焼けした横山先生は、本部の紹介状に快く応対してくれた。先生は、ボーイ・スカウトの話題では、私が驚くほど熱く語る。それ故に、私の気持ちに理解を示し、細江先生宛の紹介状を書い... 続きをみる

  •    恵沢の絆   Ⅵ 

     翌年の春。兄から渡された月刊誌スカウトの記事に、私の心がすっかり奪われてしまった。 「兄ちゃん! この記事を、読んだ? 俺も応募したいと思うけど、ダメかな?」  兄は、もう一度読み返す。 「ああ、面白そうだね。だけど、お前は中学生だから、応募する資格がないよ」 「そうか、無理か・・」  私はがっ... 続きをみる

  •    恵沢の絆   Ⅴ 

       翌日の午前、病院側が手配した小型バスで、市斎場へ向かった。バスの中の家族四人。車窓から見える景色は、それぞれの思いが重なる。私に見えるのは景色でなく、血に染まった枕に眠る母の顔であった。  私はゆっくり車内を見まわす。姉は俯き、白いハンカチで嗚咽を堪えている。父は、憮然とした様子で目を閉じ、... 続きをみる

  •    恵沢の絆   Ⅳ

    「母ちゃんは、もう・・、自分のことを承知しているんだよ。だから、早く行こう。俺からも、頼む・・」  助手席で黙って前を見ていた父が、重い口を開き兄に告げた。  幸せな家族の温もりが、一瞬にして重い空気へと変わってしまった。私が経験した不思議な空間は、最初で最後の貴重な家族の思い出となったのである。... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   Ⅲ 

     東京オリンピックの年。カラー・テレビが話題となり、我が家もソニーの最新型に買い替えた。母はカラー番組を楽しみに、頻繁に外泊許可を得ては帰って来る。  残暑が厳しい彼岸の一週間前。外泊した母が真剣な眼差しで、兄に心情を訴える。 「佐一郎や! 今度のお彼岸に・・、お墓参りへ連れてっておくれ。お願いだ... 続きをみる

  •    恵沢の絆   Ⅱ

     単車に乗る時は、兄とお揃いの皮のヘルメット。白いウサギの毛が縁取られ、風で顔の肌をくすぐる。私の楽しそうな姿を、羨ましそうに見送る七つ上の姉。その姉も、恐らく寂しい日々を送っていたはずである。  夏休みの姉が、不意に保育園へ私を迎えに来た。園長から早退の許しを得ると、俯くままに私の手を握る。姉が... 続きをみる

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  •    恵沢の絆   Ⅰ  

     乾いた木枯らしが無常の風となり、病室の窓を『コン、コン』と叩く。窓辺のテーブルには、淡いピンクのシクラメンの鉢が一つ置かれていた。清潔な白いシーツのベッド上に横たわる兄。静かな呼吸に、命を繋げるモニターの電子音が『ピッ、ピッ、ピッ』と、一定のリズムで最後の時を刻む。  半時が過ぎようとしている。... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 フィナーレ 

    《最後まで読んでくれて、ありがとう。物語の続きは、自由に想像しても結構だ。ワシは無事にゴキ江の許に帰れた。  その後、小笠原諸島の父島へ移住し、愛する妻と楽しい日々を過ごしている。ただ、歩き回ることは困難だ。そして、ワシの息子黒ピカのことを、懐かしく思い出している。  えっ、息子が何をしているかっ... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅧ 

     ワシは相手にしない。目を閉じ、現実には有りえないことを脳裏に描く。 《神様から不死の体に大きな翅を与えられ、空高く遠くへと飛び回る。もちろん、マリアブリータのブラジルへ・・。むふふ・・》 「うう・・。リーダー、起きてください。寒・・い・・よ~」  ぐっすりと寝てしまったワシを、懸命に黒ピカが揺り... 続きをみる

  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅦ 

    「そ、そんな寂しいことを、言わないでください。独りぼっちでは悲しくて、何もできません」 《お前との別れが、これほど辛く悲しいと思わなかった。命が尽きるまで、お前を忘れない。あ~、息子よ》  翌日の昼。アフリカ大陸の最南端、喜望峰が近づいて来た。 「黒ピカよ、ここでさらばだな」  ヤツが、急に真剣な... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅥ  

    「それはない、ワシらは貨物室に乗るからだ」 「え~、飢え死にしちゃいますよ。それなら、や~めた」 「じゃあ、ワシは飛行機で帰る。お前は船で帰ればいい。どうせお前は、横浜へ行く必要があるからな。ワシは一刻も早く、ゴキ江を助けねばならぬ」 「ん~、ん~、船か~、オイラもハム食べたいなぁ~」 「まだ時間... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅤ 

     船は大西洋の大海原を渡り、一路アフリカ大陸の南端を目指す。海は荒れることなく、穏やかな後悔であった。 《この船も貨物船だから、人間どもの姿が少ない。周りを気にせずに過ごせそうだ。だが、用心しよう。あの光景は、もうごめんだ。ん? ヤツはどこへ?》  探しに行くと、やはりキッチンにいた。ワシのことな... 続きをみる

  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅣ 

    「私が話すわ。実は、ブリ―リアに子供ができるの」  黒ピカの代わりに、マリアブリータが説明した。 「なにぃ~、それは・・、お前の子供か?」 「はい、オイラの子供です。そう言われました。でも、ひとりで育てるから、オイラは日本へ帰れと・・」 「いや、お前は残れ! 彼女に、もしものことがあったら、誰が子... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅢ 

     ここは予想以上に居心地がよく、帰国の意思を消し去ろうとする。黒ピカもブリ―リアの計略に嵌ったようだ。  とうと三週間が過ぎてしまった。マリアブリータが仲間を呼び集め、賑やかな集団になっていた。 『ゴキ江! 待っていろ、今助けるからな! 追い駆けても、追い駆けても愛する妻に近づけない。ゴキ江~、ゴ... 続きをみる

  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅡ 

    「私と一緒に暮らすそうよ。これで、私も残りの生活を楽しく生きて行けるわ。ねえ、ブリ―リア! 共同生活する仲間を探しましょう」  ワシは、安心したら無性に食べたくなった。 「さあ、黒ピカ! たらふく食べるか?」 「はい、食べましょう、食べましょう」  二匹の大食い競争が始まった。 「おほほ・・、うふ... 続きをみる

  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩⅠ 

     マリアブリータの顔が、直ぐ目の前に見えた。ワシが横になっている。この状況はどうしたんだ。 「オ、オヤ・・ジ。・・。リーダー、オイラが分かりますか?」 「お、お前の顔だけは、絶対に忘れない」 「セニョール、しっかりしてください!」 「セニョーラ・マリアブリータ、少し休めば元気に・・。気が張っていた... 続きをみる

  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅢⅩ 

    「ワシの話を聞いてくれ! ワシらの仲間には、危険を素早く感知する能力と、いかなる環境にも耐える体質が備わっている。それが三億年という長い時代を、生き延びてきた証明だ。これこそ、神から与えられた本能だ」 「だから、なんだって言うのだ。それは過去の話ではないか」 「そうよ、そうよ。過去の話だわ。現実を... 続きをみる

  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅨ 

    「どう思われますか? 過去の大会では、ここまで活発な意見はなかった。あなたの演説が、仲間の啓発を強く高めたようです」 「少し待ってくれ、講演の内容を冷静に考えていたんだが・・。どうも、仲間に夢を与えたのではなく、残念ながら幻想を与えたようだ。ワシら仲間にできるものは、何も無い。それが現実だ」  マ... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅧ 

     彼女の言葉は、説得力のある言葉であった。黒ピカやゴキジョージは、黙って聞くしかない。 「でも、愛することは、好きを越えた次元の異なる普遍的な感情なの。男女の愛、家族の愛、子弟の愛など。私とセニョール・ゴキータの愛は、仲間の愛なのよ」 「ちょっと待って、なんなの、その普遍的な感情って? 格好いい言... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅦ

     休憩時間が過ぎ、分科会が始まる。各グループがまとめる内容を、ワシは楽しみに待った。その様子を眺めていると、ミスター・ブリジョンソンとセニョール・ゴキペドロが通訳を伴って、ワシの所へやって来た。 「世界本部から、リーダー・ゴキータに特別顧問をお願いする。なにとぞ、就任を受けて頂きたい」 「え~、ワ... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅥ 

    「さて、どこまで話をしたか、忘れてしまった。直ぐに思い出すから・・」 「がんばれ~、だいじょうぶか~?」 「おれが代わりに話そうか? アッハハ・・」 「うふふ・・、私でもいいわよ」 「あっ、そうだ。神や仏の話だったな。信じる者は救われるか・・。まあ、いいや」  少し間をおき、ゆっくりと会場を見渡し... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅤ 

    「いつの日か、人間どもによって、生き物の住めない地球にされてしまう。人間どもは宇宙開発と偽り、ヤツらだけが助かる、別の星を探しているらしい。このワシらの大切な地球を、助けるつもりはない! 捨てて逃げるつもりだ! 本当に卑怯なヤツラだ! 人間どもには頼る神や仏がいるが、ワシらには頼る神はいない!」 ... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅣ

     会場全体がシーンと静まり、ワシの言葉を待った。 「世界中から参加した皆さん! ワシらは三億年前の古生代石灰紀の地球上に誕生し、氷河期や隕石落下など多くの危機や試練を乗り越え、種族の命を受け継いできました。  森林環境に依存し平和に暮らして来たが、人間どもの出現によって、ワシらの生活環境が一変した... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅢ 

    「え? チーズが嫌いなの? 面白い、うふふ・・。でも、セニョールもブラジル語が話せますね? どちらで・・」 「ワシは、単語を並べるだけです。棲み処がセントロ・コムニターリオ・クルツラール(中央公民館)という場所で、ポルトガル語の授業を聞いてました」 「それは、素敵ですね」  ワシは輪の中心にいる黒... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅡ 

    「あっ、あれは口からの出任せです」 「ほ、本当か? ワシは知らんぞ。あの豊満なメスの怖さ・・。あ~ぁ、おぞましいことが起こりそうだ」  ワシは鳥肌が立つ。この旅は、何故か鳥肌が立つことばかりだ。 「なんですか、マダムとの約束とは?」  ゴキジョージが不思議な顔で聞き、触角をピィーンとアンテナのよう... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩⅠ 

     ブリジョンソンのうんざりする長い挨拶が終わり、各大陸代表の報告発表が始まった。 「初めに、ユーラシア大陸代表の方は、こちらへどうぞ」  誰も壇上へ現れない。会場内がざわつき、ワシと黒ピカはキョロキョロと辺りを見渡した。 「お静かに願います。どうやら、ユーラシア大陸代表のイタリアのゴリジェラーノさ... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅡⅩ

    「リーダー、残念ですね。船内で話をした仲間もいたでしょうね」 《ほう、もう冷静になっておる。うふふ・・、少しは成長したと思ってもいいのかな》 「そうだな、残念だが仕方ない。これが、無常の風よ」 「それは、なんの風ですか?」  ヤツは、次の疑問に心を惹かれ、目を輝かした。 「この世の命は、誕生と死滅... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅨ

    「でも、オイラは勉強をしたい。この旅で自分の知識が足りないことを知り、リーダーを目標に頑張りたいと思います」 「照れることを言うな! 旅はまだまだ続く、多くを感じて学ぶことが成長だ。それが、この旅の大切なお前の目的だよ」 「はい、リーダー。しっかり成長します」 《ワシは嬉しいぞ。一緒に旅をしながら... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅧ

     救命ボートに戻るが、隅でジッと動かない黒ピカ。心配するブリ―リアがヤツの体に優しく触れる。ヤツはブリ―リアを抱きしめるが、大きすぎてハグができない。代わりに彼女がハグをすると、黒ピカが押し潰された。その滑稽な様子に、他の仲間たちが冷やかす。黒ピカが、ようやく照れ笑いを見せた。  横浜を出港してか... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅦ

    「大丈夫ですよ。あれらは体調が百十ミリで翅を広げると二百ミリになりますが、敵対心が無ければ友好的ですよ。あれらも人間を恐れています。ペットの食料用に捕獲されているので・・」 「ブリ―リアと同じだ! 可哀そうに・・。誰も信用できない目つきは当たり前だ。リーダー、そう思いませんか? オイラは必ず友達に... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅥ

    「人間どものペットで、ヘビやトカゲなどの爬虫類だってさ・・」  ブリカーノが説明する。すると、隣のゴキジョージが、にやにやしながら話す。 「だけど、俺たちの品評会を開き、艶の光沢具合や走る速さを自慢する愛好家の人間が、世界中にたくさんいるらしいよ」 「クックク・・」 「ムッフフ・・」 「いや、ワシ... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅤ 

    「ん? 何が横に・・」  振り向くと、腰が抜けるほど驚く。なんとワシらより数倍大きい仲間がいた。黒ピカは、恐ろしさに固まって動けない。相手は、ワシらをジッと探る様子で見ている。  長い触角で、黒ピカに触れようか迷っている。ワシは、どうも女の子らしいと気付く。慣れないスペイン語で話し掛けてみた。 「... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅣ

     シャワー室から顔を見せたのは、黒ピカと友達になったハワイのゴキジョージであった。 「アローハ、ジャパニーズ・リーダー!」 「やあ、アローハ! ゴキジョージ、大丈夫でしたか?」 「はい、ハワイのメンバーはノウ プロブレム(問題ない)あなたのお陰です。マハロ(ありがとう)」 「いや、とんでもない。と... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅢ

    「それは、ハワイの仲間だ。アローハ(こんにちは)と挨拶して、英語で話せばいいのだ。まさか、英語がダメなのか?」 「話せませんよ。日本語だけです。オイラには、勉強する暇もなければできる頭も無い。リーダーは話せるのですか?」 「ああ、ワシの棲み処は中央公民館だった。英語教室や国際交流の集いがあり、知ら... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅡ 

     揺れは、日毎に激しくなる。船が傾く方へヨロヨロと歩き、まるで酔っ払いのようだ。ワシはできる限り棲み処で静かにしていた。若い黒ピカは、片時も休まない。ところが、フラフラとヤツが戻ってきた。 「どうした、具合が悪いのか?」 「あ~、気持ちが悪くて、もう歩けない」  ワシの前でバッタリと倒れ、動かなく... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 ⅩⅠ

    「長い道のりだ。安全で快適な、仮の棲み処を探さなければ・・」 「リーダー。それよりも、先に何か、食べませんか?」 「そうだな、前の方からいい匂いがする。行ってみよう」  貨物船のためか、人間どもの姿が少ない。安心して行動ができる。キッチンは意外と広く、清潔であった。直ぐに残飯の在りかを探し当てた。... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅹ

     のらりくらりと言葉を交わすマダムの対応に、言い知れぬ怒りが湧く。もう、我慢ができないとワシは思った。 「とにかく・・、ですな!」  その瞬間、黒ピカがサッとワシの前に出る。豊満なマダムの体を軽くタッチした。 「お美しいマダム・イヤーネ、南米から帰国したら横浜に来ます。死ぬまでお仕え致しますから、... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅸ

     ワシの真剣な表情から、失敗は許されないと理解した黒ピカは、翅をバタバタと動かし気を引き締める。ヨットがうねりの頂点に達した一瞬、岸壁を目がけて飛んだ。  ワシは体操選手のように触角を広げ、華麗なフォームでピッタと着地をする。黒ピカは風に煽られ、コロコロと転んでしまった。 「うっ、痛たた~。もう、... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅷ

     ジェット音が、徐々に大きく響いてきた。 「リーダー、あのとんでもない唸り声は?」 「あれは唸り声ではなく、飛行機の音だ。自動車より数十倍も大きい、空飛ぶ機械だ。 本当なら、あれに乗ってブラジルへ行くはずだった」 「ふぅ~ん、ゴジラが吠えていると思った。半年前に誤って映画館に入ったら、急にゴジラが... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅶ

    「はい、十分に気を付けます。カラスは大嫌いだ。いつもオイラを『バカカァー、バカカァー』と、鳴いて騒ぐ。オイラは、とっくの昔から承知の介だい!」 「アッハハ・・。あ~、腹が痛い。なんとも変わったヤツだな。ハハ・・」  東京湾に近づき、釣り船や観覧船が目まぐるしく行き交う。小さなヨットは船のさざ波に煽... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅵ

     冷や冷やしながら見ていたワシは、何故か神様に祈ってしまった。祈りが通じたのか、黒ピカはようやく着地ができた。 「さあ、出発だ。茎にしっかりと抱きつけ! この茎なら、葉の養分を吸える。少しは腹の足しになるからな」 「は~い、リーダー。だけど疲れたなぁ~」  夜明けと共に、長い未知の旅が始まった。果... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅴ

     夏の虫たちの『リ~ン、リ~ン』と軽やかな音色だけが聞こえる。静かな夜に戻った。 「黒ピカよ! ワシは決めたぞ」  ふと心に浮かんだ案を、出し抜けに告げる。黒ピカは驚き、ピョッコと飛び跳ねた。 「えっ、えっ、何を決めたのですか?」 「渡航方法だ! 近くの烏川から利根川を経て、途中の江戸川を抜け東京... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅳ

    「リーダーの方が、もっと慌てていますよ」 《当たり前だろう。お前に露見したと思った。気付いていないらしいな。それにしても、そんなに似ているのかなあ? 黒く光って母親似と思うが・・》 「うっ、ゴッホン・・、ゴ、ゴキ江、それで支部からの内容は?」 「ええ、それが渡航のことなの。飛行機は空港の検疫検査が... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅲ

    「今日はこれで散会する。近頃、野良猫に食べられる事件が絶えない。くれぐれも用心して帰ってくれ」  集まったものたちは、別れを惜しみながらソロソロとその場から立ち去った。 「黒ピカよ!」 「はい、リーダー・・」 「出発まで、この公園で過ごす。棲み処に戻っても、命の保証はないからな。この場所にこっそり... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅱ

    「さ~てな。ワシらの仲間は寒さに弱いからなぁ~。世界中と言っても、温暖な国や熱帯雨林からの参加が多いはずだ。この地球上には、およそ四千種、一兆四千八百億匹が生息している。参加数は全く想像がつかん。だから、ワクワクしているよ。講演は仲間の夢について、話す予定だ」 「じゃ~ぁ、日本の仲間は~、どれほど... 続きをみる

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  •   嫌われしもの 遥かな旅 Ⅰ

    《これから始まる物語は、あんたら人間どもが、とても理解できないであろうワシらの世界だ。  この地球上に、ワシらよりもずっと後に現れた人間どもよ!  猿人(アウストラロピテクス)から旧人類(ネアンデルタール)、新人類(クロマニョン)に進化してきたと言われているが、ワシらだけが真実を知っている。でも、... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅹ

     その夜、私の荷物はそのままにして、彼の部屋で過ごす。ベッドの中で愛を確かめ、少しでも彼の不安を慰めた。  翌日は、彼の運転で州立公園やマウナ・ケア山などを観光する。彼は歩くとき、常に私の手を携え不安から逃れようとした。私はできる限り甘え、彼の恐怖を和らげようと努める。  夕日が沈むハワイの海を眺... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅸ

     翌日の午前に、ヒロ方面をドライブ。左ハンドルに慣れていないので、神経が張り詰め緊張する。コナ・コーヒー農園に行き、美味しいコーヒーを飲む。行く当てもないドライブは、やはり楽しく過ごせない。況して、常に彼の顔が浮かぶからだ。私はドライブを切り上げ、早めにホテルへ戻った。  ホテルの前に近づくと、日... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅷ

     私は会社に事情を説明して、一週間の有給休暇を取得。直ぐに旅行の手続きを行なう。 三日後に、私は羽田発のハワイアン航空に乗る。およそ七時間のフライトでコナ国際空港に降り立った。開放的な空港に目の前に広がる溶岩帯は、やはりホノルルとは異なるハワイの気分を味わう。  前回は、気の合う友人たちと訪れリッ... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅶ

     ホテルをチェックアウト後、乙女の像の前で落ち合う約束をしていた。半信半疑で私が行くと、間違いなく彼は先に来て待っていた。彼の姿を見た瞬間、私の胸がキュンと締め付けられる。 「おはよう、昨晩は良く眠れましたか?」 「えっ、はい、良く寝ることができました。起きたら、とても爽快な気分でしたわ」  寝不... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅵ

     私は彼と交際してからの期間を、思い返す。三年前の夏に、十和田湖の奥入瀬渓流をひとり訪ねたとき、湖畔の乙女の像を眺めていた私に、横から声を掛けたのが彼だった。 「私は、この作者の道程という詩が好きなんです・・」  彼の声は、囁くように静かな語り口であった。 「えっ? 高村光太郎の詩ですか・・。我が... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅴ

    「初めまして、突然にごめんなさいね」 「いいえ、こちらこそ・・」  彼の姉は、背がすらりとして穏やかに話す人であった。想像したとおり、顔の輪郭や性格が彼に良く似ている。その所為か、初めて会うにしては緊張することも無く、意気投合することができた。  友人から届いた手紙を、姉に見せる。彼女は手紙の内容... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅳ

     仕事から家に帰るたび、あの手紙が気になってしまう。封を途中まで開けたが、決心がつかず止めた。破棄して捨てることもできない。机の引き出しの奥へ、目の前から隠すように仕舞い込んだ。  最初の手紙が届いてから十日過ぎに、新たな手紙が届く。今回の差出人は、女性の名前であった。それも、彼と同じ名字が書かれ... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅲ

    「そうだわ・・、明日、仕事の合間に電話をしてみようかしら・・」  翌日、昼時間に彼の携帯へ電話を掛けてみるが、一向に繋がらない。仕事を終え、再度掛けてみるが通話不能であった。  その翌日も、また翌日も掛けるが、やはり通話不能である。私は胸騒ぎを感じた。  交際初めて直ぐに、職場への電話はしないと互... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅱ

     私は、彼が置いて行った二千円を掴み、レジに支払う。急ぎ店を出た。  外は予想以上に寒く感じ、オータム・コートの襟を立てる。その後、当てもなく歩き、高崎城址公園に来てしまった。  色あせたベンチに座り、疲れた足を労る。人影が少ない。喫茶店のことを思いだした。寂しさはあるが、不思議にも悲しみの涙はな... 続きをみる

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  •   漂泊の慕情  Ⅰ

     暮秋の午後、高崎城址公園の古く色あせたベンチ。日溜まりの温もりを求め、心虚しく座る。目の前に噴水を止められた池。水面に視線を向け茫然と時を過ごす。  足元の枯れ葉が風に煽られ、カサカサと忙しく転がる。使い慣れた薄茶色のバックからヘア・バンドを取り出し、長い髪をひとつに纏めた。  思わぬ破局に心は... 続きをみる

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  • 別れ水 幾星霜  エピローグ 完

     輝明は、渋々と頷くほかなかった。 「前と違って、今は電話で話せるからね。平気でしょう? あなたの声を聞きたいから、ちょくちょく電話をしてね」 「うん、分かったよ。毎日、毎晩電話する。寂しくなったら、ブラジルへ行くさ」 「まあ、それはやり過ぎよ。いい加減にして・・。うっふふ・・」 「そうか、電話代... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  エピローグ Ⅰ

     伊香保から戻った日の夜に、兄家族や会社の従業員を交えた親睦会に呼ばれる。その場は、輝明と亜紀の話題で終始過ごした。輝明は憮然としたり、顔を赤らめたりと忙しかった。亜紀は彼の様子に笑いが止まらない。マルコスも久しぶりに笑顔を取り戻す。  輝明が会社に行っている間、亜紀はマルコスを伴い高崎市内を散策... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第七章 Ⅶ 

     翌日、輝明と亜紀は伊香保温泉に出掛ける。その途中、水澤観音を参詣してから、忘れ水が流れる場所を訪れたいと、亜紀が希望した。以前には無かった裏手の駐車場に車を停め、登山口に向かう。 「あら、随分変わってしまったのね」  現在は、登山口から頂上まで整備されている。 「そうさ、若くないボクにも無理なく... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第七章 Ⅵ

     祭壇の上から優しい笑顔に愁いを帯びた瞳。輝明にとって、決して忘れない愛する千香の顔である。亜紀には、心を許せた最愛の友であり、彼を結び付けた恩人でもあった。 「不思議ね、私が、千香の家族として見送るなんて・・」 「うん、不思議なことだね。これも偶然かな?」 「そうね、千香が笑っている。そうよ、偶... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第七章 Ⅴ

     兄夫婦に、亜紀とマルコスを初めて紹介する。 「亜紀さん、輝坊を宜しく。今、祝うことができない状況で申し訳ない。滞在中に、ゆっくり食事をしたいと考えている」 「いいえ、お兄さんのお気持ちだけで十分です。彼がマルコスです」  マルコスは緊張して、顔を下に向けていた。 「ええ、承知しています。マルコス... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第七章 Ⅳ

    「そうだよ。亜紀さんだ。それにマルコスも・・」  千香は幾度も頷く。亜紀は千香の胸に覆いかぶさり嗚咽する。千香が亜紀の頭に手を添え、抱き締めた。その千香の手に、輝明は彼の手を重ねる。 「千香ちゃん、やっと夢が叶えられたね。この高崎に三人が揃ったよ」 「うん、嬉・・しい・・わ。良か・・ね。て・・る・... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第七章 Ⅲ

     亜紀は奈美から離れ、千香に近寄る。千香の顔を間近に見ながら、小刻みに震える手で頬に触れた。 「遅くなって、ごめんね。千香・・、あなたの好きなマルコスを連れて来たわよ」  マルコスを呼び、千香に会せる。 「チア、チア・・。会いに来たよ。大好きなチア・・」  千香の顔が、ほんの僅か反応したように見え... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第七章 Ⅱ

     慣れない首都高速から外環道を回って、ようやく関越道に入ることができた。高坂のサービス・エリアで休憩する。初めて見る光景に亜紀とマルコスは、輝明の傍から離れられない。とりあえず、ふたりをトイレに案内する。  幾らか落ち着いてきた二人を、レストランに連れて行く。 「さあ、何が食べたい?」 「輝君は、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第七章 Ⅰ

     翌日の朝、昨晩から病室で見守っていた輝明は、奈美と交代して家に帰り仮眠をする。昼過ぎに起き、近くの食堂で昼食を済ませると再び病院に行く。千香の容態を見届けてから、車で成田へ向かった。  午後五時に成田空港へ着いた。輝明は幾度も到着ボードを凝視する。逸る心を抑えているが、到着間近になると心は勝手に... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅷ

     千香が顔を歪め苦しみだした。輝明は直ぐにナース・コールを押す。看護師が廊下を駆けて来た。三人は、部屋の隅に固まり対応を見守る。看護師は院内携帯で医師に連絡。三人は廊下で待つよう指示された。千香の苦しむ声が、廊下で待つ三人の耳に聞こえる。 「輝叔父さん、何かあったの?」  その時、東京の貴志が到着... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅶ

     胸ポケットの携帯を取り出し、受信ボタンを押す。 「輝君!」  霞む目の前に、亜紀の顔が浮かび上がった。 「あ、亜紀さん! 早く来て・・」 「えっ、まさか・・、千香が危ないの?」 「亜紀さん、もう余裕がないよ」 「明日の朝、出発よ。二日後の夕方に到着するわ」 「本当だね?」 「ええ、間違いないわ。... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅵ

    「うん、見せて・・ね」  千香は歪んだ顔をチラッと見せ、また目を閉じてしまった。病室内のモニター音が反響して、輝明の頭の中を駆け巡る。 「オレ、売店に行ってくるね」  その場にいたたまれない輝明が廊下に出ると、年配の看護師から呼び止められた。 「あっ、金井さん! ちょうど良かったわ。吉田先生から連... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅴ

     病院の外に出ると粉雪が舞っていた。頬を掠める雪が体温でスッと溶ける。輝明は空を見上げた。暗い空間から無数の白い塊が、彼を目がけて落ちてくる。その一つ一つが千香の記憶に思え、輝明は瞬きもせずに白い塊を目で追う。  家に帰り、疲れた体をソファに投げ出す。輝明は抑え切れない心の苦痛を、唯一支えてくれる... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅳ

     翌朝、千香は昨晩の亜紀からの電話で、精神的に元気な顔を見せた。本人の希望もあって、高崎市内や観音山をドライブすることにした。  介護タクシーを呼び、輝明も同乗して出掛けた。観音様はタクシーの中から参拝する。忠霊塔前の駐車場から、高崎市内が一望できた。  高崎市内を望む千香のうつろな瞳。愁いをおび... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅲ

     数日間は、病状も安定していた。神戸から転院して三日後の日に、緩和ケアの一環として一時帰宅が許された。輝明の家は、千香のために介護用ベッドや器具が用意され、窮屈な状態になっている。 「ま~ぁ、輝坊ちゃんが住んでいる家は、こんなに窮屈なの?」 「仕方がないだろう。千香ちゃんのために揃えた器具で、一杯... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅱ

     夢の中に沈みながら、輝明はふたりの存在を推し量る。目の前にいるのは、いつも千香である。しかし、意識するのは、後ろに見え隠れする亜紀の存在であった。それが、今はふたりが並び、同時に声を掛ける。どちらの声を優先に聞けばよいのか、輝明はもどかしさに悩みもがく。 《オレが物心つく頃には、千香ちゃんが常に... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第六章 Ⅰ

     エレベーターでロビーに降りると、レンタル会社の社員が待っていた。車のキーを渡して請求書を受け取る。輝明は、千香の子供たちに連絡し、病院の住所と電話番号を知らせた。車の移動を心配していたが、無事に転院できたので安堵した様子。明日の午後、奈美が病院に訪れる約束をして電話を切った。  輝明はタクシーを... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 ⅩⅢ

     その場の雰囲気を変えることができた。しばらくして、海老名JCTから圏央道に入る。すでに、夕刻の四時過ぎ、冬の陽が沈みかけている。 「千香ちゃん、疲れたろう?」 「平気よ。輝坊ちゃんは、疲れたでしょう。もう若くないんだから、無理しないでね」 「いや、まだ若いから、平気さ」 「またまた、ウソをつく!... 続きをみる

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