忘れ水 幾星霜 第七章 Ⅳ
「そうだよ。亜紀さんだ。それにマルコスも・・」
千香は幾度も頷く。亜紀は千香の胸に覆いかぶさり嗚咽する。千香が亜紀の頭に手を添え、抱き締めた。その千香の手に、輝明は彼の手を重ねる。
「千香ちゃん、やっと夢が叶えられたね。この高崎に三人が揃ったよ」
「うん、嬉・・しい・・わ。良か・・ね。て・・る・・坊・・ちゃ・・」
「千香、千香ぁ~」
輝明は、緊急に奈美と貴志に連絡した。病院に近いホテルにいた奈美が駆けつける。
「ママ、奈美よ。私が分かる? ママ・・」
千香は頷き、手を差し出した。奈美はその手に頬を寄せる。貴志がマルコスと忙しく駆け込んできた。
「母さん、話せるの? あ~ぁ、母さん」
輝明は、甥の目を見詰めたまま、首を横に振る。貴志はサッと母の顔に目を移し、妹の横に並んで母の手を掴む。
「た、貴・・志。奈美・・」
千香が必死に力を振り絞り、子供の名前を呼ぶ。貴志が母の耳元に口を寄せ、囁く声で答えた。
「な~に、聞こえるよ母さん。奈美も隣にいるからね」
「ごめ・・んね、も~っと・・生き・・た・・かった。こ、これか・・らは、輝ぼ~ちゃ・・んに・・」
貴志は、幾度も母の手を小刻みに振り、理解したことを伝える。
「うん、うん、母さん、分かったよ」
「て、て、輝・・坊ちゃん、いる・・の?」
輝明は千香の頬に流れる涙を、指で拭いながら聞く。
「ここにいるよ。どうしたの?」
「うん、貴・・志、奈美・・、お願・・いね。それ・・と、輝坊・・ちゃんを、愛し・・て・・わ。私・・の、忘・・れ・・水を・・覚え・・」
《千香ちゃんの気持ちは、十分に理解していたさ。オレも同じだよ。ただ、ふたりの間には、いつも爽やかな風が吹いていただけ・・》
「千香ちゃん、オレも同じだよ。さあ、疲れるから、安心して休もう。また、明日に話せばいいよ」
輝明は千香の顔に自分の顔を近づけて、額に唇を寄せた。唇に伝わる千香の温もり。
千香は大きく息を吐くと、再び反応しなくなった。モニターの電子音は確実に千香の反応を捕らえ、定期的にピッ・ピッ・ピッと鳴り続けている。
病室内は、奈美の嗚咽と貴志の拳で腿を叩く音が響く。亜紀は後ろから奈美を抱き、輝明は貴志の肩を摩る。マルコスが亜紀に近寄り肩を抱いて慰めた。
病室のドアが叩かれ、兄夫婦が入って来た。輝明は、兄夫婦に千香の顔を見せてから廊下へ呼び、今の状況を説明した。その後、兄夫婦と一緒に亜紀とマルコスを連れて、階下のロビーへ行く。