ウイルソン金井の創作小説

フィクション、ノンフィクション創作小説。主に短編。恋愛、オカルトなど

創作小説を紹介
 偽りの恋 愛を捨て、夢を選ぶが・・。
 謂れ無き存在 運命の人。出会いと確信。
 嫌われしもの 遥かな旅 99%の人間から嫌われる生き物。笑い、涙、ロマンス、親子の絆。
 漂泊の慕情 思いがけない別れの言葉。
 忘れ水 幾星霜  山野の忘れ水のように、密かに流れ着ける愛を求めて・・。
 青き残月(老少不定) ゆうあい教室の広汎性発達障害の浩ちゃん。 
 浸潤の香気 大河内晋介シリーズ第三弾。行きずりの女性。不思議な香りが漂う彼女は? 
 冥府の約束 大河内晋介シリーズ第二弾。日本海の砂浜で知り合った若き女性。初秋の一週間だけの命。
 雨宿り 大河内晋介シリーズ。夢に現れる和服姿の美しい女性。
 ア・ブルー・ティアズ(蒼き雫)夜間の救急病院、生と死のドラマ。

ウイルソン金井の創作小説の新着ブログ記事

  • 忘れ水 幾星霜  第五章 ⅩⅡ

    「よし、出発進行!」 「よし、輝坊ちゃんと最後の旅だ~!」 「・・・」  千香の言葉が胸に響く。ハンドルを掴む彼の手に力が入った。返す言葉がない。 「輝坊ちゃん、運転は大丈夫なの?」 「うん、平気だよ。事故ったら、最・・、千香ちゃんとの楽しい旅が、台無しだ。ゆっくり安全運転しなきゃね」  新名神高... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 ⅩⅠ

    「いや、まだ決まっていない。佐和さんに休暇許可を出してから、北島さんに連絡するらしい」 「そう、楽しみだわ。それまでは、頑張るね・・」 「千香ちゃん、無理しないでよ。何かあったら、困るからね」 「心配しないで、分かっているわよ」  いつもの千香らしく、頬を膨らませて拗ねる。その様子に輝明は安心した... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅹ

     食卓テーブルの冷めたおかずを、レンジで温めなおす。勝手に騒いでいるテレビ画面を横に置いて、侘しい食事を終わらせる。輝明が時間を確認すると、十時を過ぎていた。 《ブラジルは、朝の十時か・・。今、亜紀さんは休憩時間だよな。早く来れるか話してみよう》 「あ、輝君。何か急用なの?」 「うん、千香ちゃんの... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅸ

    《何十年と見続けた千香ちゃんの顔だ。この顔が見られなくなる。考えるだけでも虚しいなぁ・・》  冬の陽は沈むのが早い。病室の中が薄暗くなったが、輝明は気にもせずに独り戯言を呟いていた。 「歳を重ねるごとに、親しい人たちとの死別が多くなる。あ~ぁ、つくづく考えてしまうなぁ。むしろ先に逝く方が、悲哀や虚... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅷ

    「ある知人は、死の直前に自分の人生を達観して、癌専門病院ホスピス棟を最期の住まいに選びました」 「・・・」 「その庭に咲く桜を、来年は見られないとカンパスに描き。生きている間は縁の薄かった観音菩薩像を、痩せ衰える手で懸命に彫っていました。葬儀には未完成の像が飾られていたが、カンパスに描かれた桜は見... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅶ

    「いいや、できれば兄貴に教えてもらえれば・・」 「F病院の院長なら、面識があるよ。最近、緩和ケアを始めたらしい・・」  翌日の朝、佐兄が院長に電話してアポの了承を得ることができた。輝明は指定された午後の時間に、病院を訪れる。入院病棟のロビーで待っていると、女性事務員に面談室に案内された。しばらくす... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅵ

     ブラジルから戻りひと月が過ぎた日。痛みもなく穏やかに会話ができる千香が、深刻な面持ちで輝明に相談した。 「輝坊ちゃん、私ね・・、できれば高崎に戻りたいの。だって、死ぬのなら・・、思い出のある高崎を選びたい。どうかしら?」  千香から聞いた死の言葉は、今までに何千回も聞いた。それは、彼女の遊び言葉... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅴ

    《輝君が見せたあの瞳、私の幸せを願う思いが込められていた。出会いの三ヶ月、別々に過ごした三十年、再び巡り合えた三日間。私たちの運命は、神の偶然に弄ばれた人生なのかしら・・》 「行っちゃうね、分かれることがこんなに辛いなんて、初めて経験したよ。悲しいね、マルシア」  マルコスの言葉が、彼女を現実に引... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅳ

     搭乗手続きのアナウンスが流れた。千香が、秋の側に寄り添い小声で話す。 「亜紀、お別れね・・。会えて良かった。必ず、必ず来てね」 「うん、自分がこんなにも幸せとは・・。あなたのお陰よ。ありがとう。千香、必ず行くわ」  どちらともなく、ふたりは強く抱き合った。千香と亜紀が離れるのを待って、輝明は亜紀... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅲ

     突然に空が暗くなり、スコールに見舞われる。道路があっという間に冠水状態。セルジオが注意しながら、ゆっくりと車を走らせる。 「凄い雨ね。後ろのマルコス、大丈夫かしら・・」 「驚かれたでしょう、直ぐに止みますよ。ああ、彼はしっかり走っていますね」 「いいえ、驚かないわ。確か、熱帯特有のスコールでしょ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅱ

    「マルコス、私の名前は千香よ。チア、ではないの」 「ああ、それは、ブラジル語で親しい年配の女性や幼稚園、小学校の先生をチアと呼ぶのよ。千香・・」 「あら、まぁ~、そうなの。ごめんね、マルコス!」  千香はマルコスを呼び、抱きしめる。彼は、千香の頬に軽いキッスを返した。  食事の後、長女の奈美から頼... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第五章 Ⅰ

     翌日の朝、輝明が目を覚ますと、亜紀が新しいワンピース姿で千香の世話をしていた。 《やはり、似合うな。綺麗だ》 「おはよう、輝君。さあ、朝食に行くわよ」  少し恥じらう様子で、爽やかに挨拶する亜紀。輝明は、一瞬戸惑うが返事を返した。 「やあ、おはよう」 「亜紀、いいのよ。お寝坊さんはそのままで、先... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 ⅩⅤ

    「輝君、ありがとう。千香、悲しいことを言わないで。必ず、会いに行くわ」  千香がゆっくりと立ち上がり、部屋に行き封筒を持って来る。封筒を亜紀に手渡した。亜紀は、手にした重い封筒を見詰め、体を固くし微動だしない。 「誤解しないで、あなたの心を踏みにじり、卑しめるつもりはないわ。このお金は輝坊ちゃんの... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 ⅩⅣ

    「うん、マルシアは見たとおりに、派手じゃない。貰えるお金は少ないけど、不平を聞いたことがない」 「そうか、分かった。オブリガード。千香ちゃん、相談したいことがある」 「輝坊ちゃんの言いたいことは、十分に理解しているわ」  亜紀が自分の買い物を済ませ戻ってきた。頼んであった服を受け取ると、ホテルに引... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 ⅩⅢ

    「亜紀、早く試着して、見せてよ」  彼女はおどおどと試着室に入り、怖々と着替えた。姿見の自分に心が奪われる。 《まあ、なんて華やかな色、ワン・ポイントの白い花びらが素敵ね。この色は、あれ以来ね。輝君、覚えているかしら》  恐る恐る試着室から出る。 「マルシア、ボニータ(綺麗)だ。誰かと思ったよ」 ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 ⅩⅡ

    「亜紀、紅茶はどうしたの? 冷めちゃうわよ」  ふたりは我に返り、サッと離れる。 「い、今・・、できたから、ちょっと待ってね」  輝明が、先に千香と自分のカップを運ぶ。亜紀は二回ほど深呼吸をしてから、知らぬ素振りで千香の横に座る。 「あら、亜紀の顔に涙の跡があるわ。輝坊ちゃん! 女性を泣かせたら、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 ⅩⅠ

     千香は、理解していた。しかし、輝明と亜紀の貴重な時間を、奪い取ってしまう自分が許せなかったのだ。 「亜紀、ごめんね。私が元気なら、一ヶ月でも半年でもいられたのに、残念だわ」 「ううん、私のことより、千香の体の方が大切よ。この数日は、決して短い時間ではなかった。一秒一秒が、とても長く幸せを感じるこ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅹ

     亜紀は、千香の言葉を信じられないと、マジに彼女の目を覗いた。 「まっ、本当にそう思っているの? 千香!」  千香の顔が歪み、笑い出した。 「うふふ・・、ウソよ!」 「アハハ・・、あ~、驚いた!」  ふたりは仰け反り、手を叩き大笑い。そして、テーブルの上のカステラを食べ、ガラナを飲んだ。千香の顔が... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅸ

    「ん、何を? どんなこと?」 「おば・・、輝坊ちゃんのお母さんが亡くなるとき、私が傍にいたの。あの子が不憫だから、仲の良い私に面倒を見てねって頼んだわ。私は簡単に、いいよって答えた。だって、輝坊ちゃんが大好きだったから・・。  伯母さんは、輝坊ちゃんが生まれてから、入退院を繰り返しまともに育てる時... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅷ

    「もう帰るの? このまま、この清々しい海の空気を吸いながら、穏やかに眠りたい」 《千香ちゃんの気力が、弱々しくなっているなぁ。やはり、早めに日本へ帰ろう》 「うん、ゆっくりさせてあげたいけど、さあ、ホテルへ帰ろうね。千香ちゃん・・」  北島も心配して、輝明の顔を見る。 「北島さん、明日の便の再確認... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅶ

     サントスまでは、一千メートルの海岸山脈をトンネルと橋で一気に下る。新イミグランテス(移民)街道は、片道二車線でカーブも少なく快適だ。サンパウロから一時間ほどでサントス港に着いた。海岸道路を抜けて、ホテルやマンションが並ぶグウァルジャーの浜辺にやってきた。  北島の通訳セルジオが、見晴らしの良い小... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅵ

    「北島さん、良く調べましたね」 「この一年間、ブラジル国内を飛び回っていますから、色々な料理を食べましたよ。ピラニアのフライやワニ料理も食べました」 「えっ、それは凄いですね」  横で聞いている千香が退屈そうな様子。それを見とめた亜紀が、声を掛ける。 「千香、フルーツなら食べられる?」 「ん・・、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅴ

     マルコスが早めに到着。北島、通訳のセルジオ、佐和と事務員のテレーザ。それに、群馬県人会の高山事務長。全員が揃ったところで、輝明は千香を支えて立ち上がる。 「突然に訪問した私たちのために、温かく迎えていただき感謝申し上げます。長い間、探し続けていた亜紀さんに会えることができました。幸せに過ごしてい... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅳ

    「それで、亜紀は一緒に日本へ帰るのね」  亜紀は千香をソファに座らせ、自身も横に座り千香の手を握る。 「千香ね、私は日本に帰らない」 「どうして? それじゃ、なぜ輝坊ちゃんと結婚したの? 意味が分からないわ」  輝明も、千香の前に腰掛け説明しようとした。 「そ、そ・・」 「待って! 輝君。これは私... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅲ

    「一緒に生活できなくても、あなたがこのブラジルに生きている。それだけでも、ボクは幸せを感じ生きて行けます。ボクの意味する結婚は・・、せめて、愛する人が指輪を身に着け、常に存在を意識できると考えたからです」  亜紀は、彼の顔を直視した。輝明の言葉の意味を理解し、感情を押さえていた心が弾ける。 「輝君... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅱ

    「わぁ~、中は広いのね。長椅子が数えきれない。それに、ドームの天井に描かれた絵が見事ね~ぇ。ほら、見て輝君。あのステンド・グラスから差し込む夕日の・・。言葉が出ないわ」 「そう、なんと表現したらいいんだろう。哲学的、詩的な言葉にしか置き換えられない」 「私なんて、無理よ。詩的音痴だから・・」  輝... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第四章 Ⅰ

     恐る恐る輝明に近づく。 「千香は?」 「うん、部屋で少し休ませている。・・・、亜紀さん、夕食まで余裕があるので、ふたりだけで話しをしたい・・」 《この胸騒ぎは、なんだろう・・か》  亜紀は頷き、輝明が示すソファに座る。 「明後日の晩に、日本へ帰る予定です」 「えっ、明後日?」 《なんだ。もっと深... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 ⅩⅦ

     そこへ、千香のために車椅子を押すマルコスが顔を出した。千香はマルコスの顔を見ると、満面に笑みを浮かべる。  亜紀と佐和が、施設内をゆっくり案内する。庭を見渡せる廊下へ差し掛かると、千香が車椅子から乗り出すように前方を見た。 「マルコスさん、ちょっと止めて! 綺麗なアジサイが咲いているわ。亜紀! ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 ⅩⅥ

    「だって、アモール(恋愛)中だからだよ」 「ま、ま、また~、そんなことを言う」  亜紀は、チラッと輝明の顔を盗み見し、顔を火照らせ隣のマルコスの背中を叩いた。 「アモールに乾杯!」  北島が面白がり祝杯を挙げると、キョトンとしていた千香も意味を理解し、ジュースで乾杯した。 「ところで、マルコスさん... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 ⅩⅤ 

    「待って! この話は・・、今は、答えられないわ」 「承知の上です。亜紀さんに負担を掛けるつもりはありません。良く考えてからで、結構です。これは、飽くまで・・、ボクの願望ですから・・」 「いいえ、輝坊ちゃんだけでなく、私の願いでもあるわ」  千香の訴える眼差しは、亜紀の心組みを撃破する。 「はぁ~ぁ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 ⅩⅣ

    「マルコス、ふたりを明日の午前中に連れて行くから、佐和さんに連絡してね。頼んだわよ。チャオ!」 「うん、分かった。チャオ、マルシア!」 「あ、そうだ。マルコスさん、夕食を一緒にするから、後でホテルに来てね」  輝明がマルコスを誘う。マルコスは大喜び。 「やった~、行く、行きます。それに、マルコスさ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 ⅩⅢ 

    「えっ、あっ、はい。そうですが」  輝明は、突然に自分の名前を呼ばれ、うろたえ戸惑う。 「群馬県人会の高山です。お忘れですか? もう十年は経ちますからね。又、探しに来られたのですか?」  輝明は思い出し、戸惑いながらも返答する。 「ああ、その節はお世話になりました。実は、見つかりまして、今回は会い... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 ⅩⅡ

     ふたりは、それぞれに千香のことを考え、無口になる。 《千香ちゃんのことは心配だ。でも、彼女の心にはオレと亜紀さんのことで一杯なんだよなぁ。話題を変えよう》 「それでね。当初の考えでは、南マット・グロッソへ行く予定で・・」  亜紀の顔色が一瞬に青ざめ、懸命に反対した。 「それはだめ! 私のすべてを... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 ⅩⅠ

    「確かに・・、あの頃のボクは、あなたに会える喜びと同時に不安を感じていました。初めての恋心に、疑心暗鬼に押しつぶされ苦悩の毎日でした。ただ、あなたの本心を理解できたのは、水沢山の忘れ水を唇に触れたことや船上の別れ際の姿。それに、最後のデートで触れたあなたの唇と、絵葉書が亜紀さんの真意であると気付い... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅹ

    「待って、その話だけど、突然に言われても・・。どう考えて、どう答えて良いのか分からない」 「ええ、そうね。簡単な問題ではないと思うわ。でもね、亜紀! 輝坊ちゃんから誘われたら、曖昧な答えはしないでね。あなたの偽りのない本心で答えて欲しいの。お願いよ」  真剣な眼差しで亜紀を見る千香。亜紀は千香の深... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅸ 

     亜紀は千香の右手を両手で包む。千香の指が手の中で反応する。 「亜紀・・。私ね・・、いつまで生きられるか、分からない。医師に一年と言われたけど、私の体がもっと短い・・と感じているの。だから、どうしてもあなたに会いたくて、来ちゃったわ。それに、輝坊ちゃんが心配で・・」  亜紀の両手は、千香の弱々しく... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅷ

    「うん、でもカーマで休みながら・・」 「え、なに? どこで休むの?」 「カーマとは、ベッドのことです」  北島が直ぐに説明したので、また大笑い。 「ボクは、北島さんと打ち合わせが終わっていないから、ロビーに残ります。千香ちゃんのこと、宜しくお願いします」  亜紀は千香を支えエレベーターに向かうが、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅶ

    「どうしたの? 私たちの老けた顔が、見るに忍びないと思ったのね。確かに、亜紀は日焼けして若く健康的に見えるもの。妬んでしまうわ」 「うん、ボクも自分が恥ずかしいなと思っていた」 「ご、ごめんなさい。そんな目で見ていたかしら。絶対に違うわ。本当よ。長く忘れられないふたりが、現実に目の前にいるなんて、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅵ

     亜紀も千香と同じものを注文する。北島と輝明はカツ丼定食を頼んだ。 「さっきね、亜紀と話をしたの。ん? 輝坊ちゃん、聞いている? ねえ!」 「あっ、えっ、なに?」 「まぁ~、嫌だ。男の人って、年取るとすぐにボケが始まるのよ」 「冗談じゃないよ! まだボケませんからね」 「うふふふ・・、相変わらず、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅴ

    リベルダーデ区東洋街のホテル・ニッケイに着いたのは、昼に近い時間であった。ふたりは旅装を解き、千香は半時ほど横になる。輝明は、シャワーを浴び着替えてから、ロビーへ降りた。ロビーには、亜紀と北島がカフェを飲みながら待っていた。 「あれ、マルコスさんは・・」 「あ~、うちの運転手と一緒に食事へ行きまし... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅳ

     ふたりはぴたりと寄り添う形になった。亜紀は驚くも素直に腕を伸ばし、両脇から背中へと手を回す。輝明の体がピクンと反応する。彼は大きく息を吸い込み、亜紀の純白なブラウスの肩に手を置く。そして、引き寄せた。 「ようやく、あなたに会えた喜びを、心と体で実感できた」  小声で亜紀に呟く。亜紀は、その言葉に... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅲ

    「亜紀、私たちブラジルに来ちゃったわ。あなたに会いに。やっと会えたね?」 「ええ、でも・・。どうして私なんかを探したの?」 「それはね、後でゆっくり話しましょう。あれ、輝君は?」  千香は亜紀の手を離さずに、後ろを振り向く。 「ボクは、ここにいるよ」 「ほら、亜紀よ! 本当に亜紀よ。自分で確かめな... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅱ

     そこは、ひとつの出口ゲート。多くの視線が熱く注がれる場所であった。 「ボン・ヂーア! 亜紀さん、飛行機は無事に着陸しましたよ」  先に来て待っていた北島が、笑顔で声を掛けてきた。 「あ、おはようございます。職員のマルコスよ」  初対面のふたりは、にこやかに握手を交わした。同時にゲートの人だかりか... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第三章 Ⅰ

     機内アナウンスが流れ、一時間ほどで国際空港に到着することを伝えた。現在のブラジル時間、天気、気温などが慌ただしくアナウンスされる。 「輝坊ちゃん、朝食を残さないで、ちゃんと食べてね」 「うん、食べているよ。だけど、体を動かしていないから、お腹が空かないんだ。千香ちゃんは、あまり食べていないけど、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅹ

    「佐和さん、私にはふたりに正面から会うことができない。ふたりを裏切ってしまったから・・」  佐和は、テーブル越しに亜紀の両手を握りしめる。 「そんなことはない! あなたを探して、ブラジルまで来るつもりなのよ。必ず理由があるはず。逃げるなんて、だめ! しっかり会うことよ」  握り締められた亜紀の手に... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅸ

    「実は、とうに消え去った青春の面影が、不意に現れたことなの。それも三十年も経ってからよ。ブラジルに来て不慣れな環境での生活が、私の時間と小さな夢まで奪い、すべてを消してしまったはずなのに・・」  佐和は亜紀の話を聞きながら、冷えたレモネードを亜紀の飲みかけのグラスに注ぐ。 「輝君・・、あっ、ごめん... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅷ

    「はい、好きです。故郷の思い出に咲く花ですから」 「そうですか、アジサイの花言葉は【しっかりした愛情】です。ご存知でしたか?」 「えっ、はい? 無情とか心変わりでは? 知りませんでした」  亜紀は信じられない様子で、北島の顔を直視した。 「一般的にはそうですが、アジサイの花弁はガクであって、本当の... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅶ

    「ご主人と一緒に来られるのね?」 「橋本教授は既に亡くなっており、奥様のいとこの方と来られるようです。奥様はご病気で、恐らく一人旅が困難だから同伴をお願いしたのでしょう」 《えっ、嘘でしょう。輝君が一緒なの?》 「は~ぁ、そうですか・・」  亜紀のショックを隠せない様子に、佐和が彼女の背中を手のひ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅵ

    「横山さん、明日の午前中に、そちらへお伺いしますが宜しいでしょうか?」 「あっ、はい。ど、どうぞ、お待ちしています」  近くで電話の様子を見ていた佐和とマルコスが、亜紀の変化に気付く。受話器を置きテーブルに戻ってきた彼女へ、二人同時に声を掛けた。 「亜紀さん!」 「マルシア!」  亜紀は驚き、ふた... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅴ

     一週間ほどが過ぎた日の朝。マルガリーダ園長のみが本名を知っている別棟の孤老(職員たちがタロウさんと呼ぶ)が、アジサイの蕾が綻び始めたことを亜紀に伝える。  施設の裏手に小さな日本風の庭があり、二十株のアジサイの花が植えられていた。亜紀は確かめに行く。 「本当だ、白い花弁がうっすらと見えるわ。タロ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅳ

    「そうでしたか・・」  亜紀も緊張が和らぐ。目の前のカップを手に取り、カフェを飲む。苦みの中に甘さが口中に広がった。 「あなたのことは、すでに手紙で報告しました」 「えっ、本当なの? それで・・、返事は来たの?」 「いえ、視察を終えてサン・パウロに戻ってから、九月の初めに送りました。そろそろ返事が... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅲ

    《諦めていた夢が・・、どうすればいいの。やっと、辿り着いた心の安らぎ・・。マリア様、私の心を導いて下さい》  亜紀は朝の仕事を済ませてから、マルコスにホテル・ニッケイまで送ってもらう。 「マルシア! 帰りは、どうするの?」 「そうね、いつ終わるか分からないから、先に帰って・・。あっ、待って! 帰り... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅱ

    「ええ、見ず知らずの人間が、突然に自分の名前を知っているなんて怖いですよね。実は、橋本千香さんから依頼されて、あなたを探していました」 「えっ、橋本千香? だれ・・」 「私の大学の恩師、橋本教授の奥様です。確か、高校時代の仲の良い同級生で・・」 《ま、まさか、あの千香のことなの?》  亜紀の頭の中... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第二章 Ⅰ

     サン・パウロ市郊外の十月は未だ春の気候だが、照りつける日差しは夏のように強い。  亜紀は朝食の片づけを済ませてから、中庭へ向かった。昨日の午後、礼拝堂脇の花壇に植えたスミレの苗が整然と並ぶ。紫色の可憐な花をイメージしながら、白いTシャツの彼女は小石や雑草を取り除く。 「亜紀さん! 朝からご苦労さ... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 ⅩⅤ

    「もしもし、千香ちゃん? オレだけど」 「元気だった? 手紙を読んだかしら、どう思う?」 「ああ、読んだよ。体の具合は大丈夫なのかい? 確か、二年前に大腸のポリープを取り除いたよね。関係があるの?」 「うん、膵臓や他に転移したみたい・・。無理しなければ平気よ。心配してくれてありがとう。それで、私の... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 ⅩⅣ

     人の歳月は、お構いなしに過ぎ去る。輝明は、千香からの手紙に集中する。 【北島さんから報告の手紙が届いたの。驚いたわ。  八月に、サン・パウロから一千キロ離れた南マット・グロッソ州の日系農場を訪れたとき、偶然にも亜紀のお兄さんの農場だったの。  でもね、亜紀は一緒に住んでいなかった。彼女は環境にな... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 ⅩⅢ 

    {ボォーッ、ボォーッ}  続いて、出航を知らせる鋭く高いドラの音が聞こえる。 {ジャ~ン、ジャン、ジャン・・}  船を見送る人々の歓声が、一段と上がる。 「輝坊ちゃん、先に行って!」  遅れ気味の千香が、輝明の背中を押した。彼は無言で千香の手を掴み、一緒に行くことを望んだ。どうにか移住船ブラジル丸... 続きをみる

  • 忘れ水 幾星霜  第一章 ⅩⅡ

    《なに、その涙? なに、その言葉?》  輝明は、単に美しい景色に感嘆したからとは考えられない彼女の涙の言葉を、不思議な思いで聞いていた。彼はリュックサックのポケットから、小タオルを取り出して亜紀に渡した。 「ありがとう・・。私って、だめね。直ぐに泣いて・・」 「いいえ、ここに案内して良かった。こん... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 ⅩⅠ

     翌朝、快晴のハイク日和。待ち合わせの高崎駅西口のバス停前。輝明が待っていると、爽やかな浅緑のブラウスに紺のスラックス、紺のリュックサック姿の亜紀が現れた。長い髪を小さな浅緑のリボンで束ねている。輝明は新鮮な気持ちでうっとりと見ていた。 「お待ちどうさま。何をそんなに見ているの? 私の格好がどこか... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅹ

     ガタガタと列車が揺れる。大宮駅の構内に近づき車内が薄暗くなったが、直ぐにプラット・ホームの照明で明るくなった。大宮駅に予定より十五分遅れて到着。ふたりは駅の構内を走り抜け、京浜東北線の始発ホームに辿り着いた。発車ぎりぎりに乗り込めホッとする。  車内は座れる状況ではなかった。仕方なく、吊革にぶら... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅸ 

    「え、あの詩? 本当ですか?」 「もちろんよ。ええ、素敵に感じたわ」  輝明の初めてのデートは、瞬時に過ぎた思いであった。一秒でも長く一緒に過ごしたいと願っていた彼だが、亜紀に予定があるというので無念にもお開きとなる。だが、別れ際に嬉しい誤算が残っていた。 「実は、あなたのことを千香に伝えたわ。彼... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅷ

     彼は、車窓に流れる景色に目をやりながら、文面を思い出す。 「夢中で書いたから、すべてを思い出すのは無理だけど・・」 「それでいいから、早く聞きたいわ」  輝明は目を瞑り、書いた文字を思い浮かべ、甦る言葉を口に出した。 「生まれて生きること。そして、死ぬことは必然ではなく、偶然という奇跡によって成... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅶ

    「ふふ・・、宛名不在で戻ってきた。そうでしょう?」 「えっ、どうして分かったのさ?」  輝明の驚く様子に、千香はほくそ笑み喜ぶ。 「だって、久しぶりに会ったあの日に、ラ・メーゾンでケーキを食べながら卒業後の話をしたの。そのときに、亜紀が末広町へ越したことを教えてくれた。それで・・、輝坊ちゃんは誰か... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅵ

    「参加した五校の上演が終わり、その場で反省会をしたんだ。オレは司会をしながら参加者の顔を確認し、その人を探した。後ろの席に座っているのを見つけ、軽く会釈すると優しく微笑んで・・」  輝明は、しばらく口を閉じてしまった。彼の恥ずかしい核心に触れる。いくら千香であっても、話すことに躊躇した。 「その人... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅴ

     印刷工場から近い高崎駅東口に、ふたりは忙しなく着いた。改札口の時刻表を確認し、十二時三十五分発の特急ときに乗車。特急で大宮駅へ行き、京浜東北線に乗り換えれば時間短縮が可能であると、千香が考えたからである。  席に着くなり、プラット・ホームの売店で菓子パンとジュースを買っていた千香が、輝明に手渡す... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅳ

    《初めて触れる亜紀さんの手。オレは離したくない。亜紀さんが何を考えているのか、オレには理解できなくてもいい。オレは好きだ。別れたくない!》  亜紀が縁石から降りて、彼に近づく。それは自然の成り行きなのか、彼女の意志によるものなのか。亜紀の瞳は、輝明の瞳を離さない。輝明は、彼女の手を離さない。 《私... 続きをみる

  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅲ

     夜景を眺める亜紀の横顔が、ネオンの様々な色彩によって幻想的に見える。 《あ~ぁ、亜紀さんの横顔は、なんて美しいんだぁ~》  彼女の心肝にある複雑な感情に触れることなく、ただ見惚れる輝明であった。窓ガラスに映る亜紀の目線と重なり、彼女が微笑む。 《えっ、えっ!》  その微笑みに、輝明の心は乱れ目線... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅱ

    「そうなの、ごめんね。亜紀から口止めされ、日本を離れてから渡すようにと約束させられたの。でもね、輝坊ちゃんの気持ちを思うと、我慢できなくて約束を破って来ちゃった。まだ、間に合うわ。ねっ、早く見送りに行きなさい」  千香の言葉をうわの空で聞いていた輝明は、力の無い声で礼を言った。 「ありがとう・・、... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜  第一章 Ⅰ

     三十年前、高校三年生の輝明は、兄が経営する印刷工場の一室に独りで生活をしていた。  十二月の初旬、身が凍みるほど寒い日曜日の朝。 「おーいっ! 輝坊、いるか~?」  事務所の輝明の兄が、オフ・セット印刷機の大きな音に負けない声で彼を呼んだ。この数日、気持ちがすっきりしない日を過ごしていた彼は、苛... 続きをみる

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  • 忘れ水 幾星霜 (プロローグ)

     日本航空JAL021便、十四時間ほどのフライトで到着したニュー・ヨークだが、わずか一時間半の休憩で再び夕間暮れのケネディ国際空港を飛び立った。それから十時間が過ぎたころ、左翼側の小窓の隙間から熱帯特有の強い陽の光が射し込んできた。  機内の照明が灯り、客室乗務員がホット・タオルを配り始めると、あ... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定) 完

     松原君が病院に運ばれ、たった今、亡くなった。佐野先生は嗚咽を必死に堪え、途切れ途切れに伝える。 「浩ちゃんは・・、『全身が・・焼けるように・・熱い、熱い』と・・言いながら、息を・・引き・・取ったの・・」 「・・・」 「付き添った・・、大・・大好きな・・お祖母ちゃんの・・手を握って・・」 「・・・... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定) Ⅶ

     松原君は、他の生徒との交流が苦手だった。嫌な思いを自分なりに描いている。手術によるしゃがれた声が、うまく相手に伝わらないと心配していた。そして、大きな音や声に鋭く反応し怯える。近くの誰かが叱られると、自分が叱られたと思い涙し悲しむ。  松原君に付き合うほど、彼の感受性の強さは私の体や心に深く浸透... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定) Ⅵ

     ゆうあい教室に戻ると、松原君が将棋盤を見詰めていた。しかし、心は別なところを彷徨っている。 「浩ちゃん、カルタでは勝てないけど、先生は将棋が強いぞ」  私は、彼の気持ちをスライドさせようと、軽い声で試みる。ところが、この後に、彼が持つ真意の優しい心ばえを感受させられた。 「先生・・、ボクは・・、... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定) Ⅴ

     梅雨明けの本格的な夏の日差しが、校庭の隅々を容赦なく熱していた。  その日の三校時が終わる頃、柴田母子が学校に現れた。柴田君は車中から出ようとしない。登校したことを聞いた松原君が、急いで三階から降りて駐車場へやって来た。炎暑の下で汗だくになりながら、彼らしい優しさで柴田君を教室に誘う。  しばら... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定) Ⅳ

     柴田君の家の窓は、カーテンがしっかりと閉じられていた。庭から呼び掛けるが反応しない。野中先生は用意していた手紙を、玄関の戸口の隙間に挟んだ。 「柴田君、来週にお母さんと一緒に来てね」  姿の見えない相手に声を掛けた。 「松原君が待っているよ。一度、顔を見せてあげてね」  私も姿を現さない柴田君へ... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定) Ⅲ

     スクール・カンセラーの野中先生が、私に近寄って来た。 「宮崎先生、今日は不登校生徒の家へ訪問しますか?」 「はい、これから出かけようと思っていました」  野中先生は、毎週水曜日に生徒や保護者のカウンセリングを担当している。 「では、私も柴田君の家に訪問したいので、一緒にどうですか?」 「ええ、構... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定)  Ⅱ

     その翌日。二校時終了を知らせるチャイムが鳴り、私が職員室から廊下へ出ると体育着の松原君と出会った。手には体育館用シューズをぶら下げている。 「おはよう、松原君」 「・・・」  彼は私の顔を白目で見る。無言のまま行ってしまった。 「随分、機嫌が悪いようだな」  仕方なく反対方向の廊下を行く。数歩行... 続きをみる

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  • 青き残月(老少不定) Ⅰ

     鮮やかな青葉に囲まれた校庭は、透き通る陽の光に照らされている。本校舎から東校舎への渡り廊下を歩きながら、私はその風景を眺めた。  東校舎に入ると、冷ややかな空気がそっと顔を撫でた。突き当りの第二理科室から、生徒たちのささめきが聞こえる。静かに階段を上がる。三階の踊り場の窓。そこから眺める景色が、... 続きをみる

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  • 浸潤の香気(大河内晋介シリーズⅢ )完

    「えっ、前にも?」 「冷静になれ、君も見えるはずだ。あの時、千代が能力を与えた・・」  若月は目を閉じ、気持ちを穏やかにする。 「あっ、確かに見えます。前の人からは、鋭さを感じない」  電車が停まった。いつも通り最後に降りる。改札口を抜け駅前に出た。ポツリポツリと雨が落ちて来たので、ふたりは早足で... 続きをみる

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  • 浸潤の香気(大河内晋介シリーズ Ⅲ)Ⅷ

     帰路の車中で、用心を怠らないよう若月に話して聞かせた。 「若月よ。恐らく、この一週間に大変な体験をすると思う」 「な、な、なんですか? 大変な体験って?」 「うん、権助やその仲間の邪鬼が襲うかもしれん」  彼はマジに恐怖を感じたらしい。 「え~、本当に襲ってきますかぁ~?」 「ああ、必ず襲ってく... 続きをみる

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  • 浸潤の香気(大河内晋介シリーズ Ⅲ)Ⅶ

    「いや~ぁ、なんと心を魅了する香り!」 「そうでしょう。この香りを知って、私も虜になってしまった」  テーブルの上には、多様な形や大きさの沈香が並べられた。 「これだけ集めるには、苦労されたでしょう」  祖父は嬉しそうに、収集した経緯を事細かに説明した。横で聞いていた若月が立ち上がり、祖父の書棚か... 続きをみる

  • 浸潤の香気(大河内晋介シリーズ Ⅲ)Ⅵ

    「陛下が皇霊殿の儀式に、特別な伽羅を使いたいと所望された。困った宮廷は苦肉の策に、正倉院の伽羅を密かに削り取ることを考え、私に内命したの。以前、豊臣秀吉も削ったらしいわ。ところが・・」  彼女は、心の底から悔しさと悲しみを露わにした。 「ところが、下級官人の舎人(とねり)の権助が、幕府の役人に密告... 続きをみる

  • 浸潤の香気 (大河内晋介シリーズⅢ)Ⅴ

     千代は話し終えると、私ひとりで来るよう手招きした。 「若月、絶対に境界線内へ足を踏み入れるなよ」  彼は渋々と頷いた。私が千代の傍らへ行くと、千代は私を紹介する。 「この人が、例の大河内晋介さんです」  目の前の端麗な女性から、ただならぬ気品を感じた。私は自然に頭を下げてしまった。 「千代のため... 続きをみる

  • 浸潤の香気 (大河内晋介シリーズⅢ)Ⅳ

     レールの車輪と車両の軋む音が、頭の中にギシギシと響く。 「主任、降りるのは次の駅ですよね」 「うん・・」  私は前を見据えたまま、気のない返事をした。 「まだ現れませんか?」  若月は空いた車両の中を見回す。 「いや、もう居るよ」 「えっ!」  彼は驚いて目を見開き、私にそっと耳打ちする。 「ど... 続きをみる

  • 浸潤の香気 (大河内晋介シリーズⅢ)Ⅲ

    「もう時間がない。今日は、これまでね。沈香(じんこう)の話は、次の金曜日にするわ」 《もう時間が無いって! またかよ~。いいさ、もう慣れっこだぁ》 「ん、ところで沈香って? あっ!」  一瞬の光が私を襲い、目の前が見えなくなった。しばらくして、慣れた目に元の駅前が戻る。心身に疲れを感じた。  次の... 続きをみる

  • 浸潤の香気 (大河内晋介シリーズⅢ)Ⅱ

     ドアーが開き外の風が舞い込んできたが、その香りは私の鼻腔に残った。  彼女が車両から降りる。私も続いて降りた。プラットホームには彼女と私だけであった。改札口を通り抜け、静かな駅前に出たが私は困惑した。 「はて、ここはどこだ・・」  見た事も無い駅前の景色に、唖然とする。眼前に広がる殺風景な荒れ野... 続きをみる

  • 浸潤の香気 (大河内晋介シリーズ Ⅲ)Ⅰ

     週末の金曜日、残業で帰りが遅くなる。終電のひとつ前の電車に乗ることができた。ほとんどの乗客が座席に着くなり、疲れた体を座席の背に投げ出す。そして、目を閉じ思い思いに自分の殻の中へ没入した。  乗客同士は肩を寄せ合うが、互いに無関心を装う。小さな車両は不思議な空間に変わる。私は、いつも孤独を意識し... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ) 完

     《この絵図では、八重さんはお守りの赤い箱を持っていない。その箱を邪鬼同士が奪い合う隙に、川を渡っているのだ》  私が思ったことを伝えると、福沢准教授は頷く。 「そうですね。邪鬼が赤い小箱を夢中で取り合っている。これがお守りの使い方かも・・、しれませんね」 「そうでしょう? おそらく、邪鬼は赤い物... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ)Ⅶ

     私たちは佐渡へ渡る前に、岬を訪れた。岬の上に立つふたりは、それぞれの思いでお堂を見詰める。私が夏の日差しに映える海を眺めているとき、福沢准教授はお堂に向かって独り呟いていた。海風が彼の声を遮る。 《彼は何を話しかけているんだろう》  彼が肩に掛けていたバックから、私が返したあの赤い小箱を取り出し... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ)Ⅵ

    「赦免されたお坊さんがお堂を建てたときにじゃ、扉の秘密を許婚の八重に知らせよった。初秋の一週間だけ漁師の雄太と会える。が、必ず約束を守るよう言い聞かせた。扉の向こうは現世ではない。だから、この世の者が足を踏み入れてはいけないのだ。踏み入れば、生死の条理をから外れ、現世に戻れなくなってしまう。  じ... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ)Ⅴ

     その夜に、東京の福沢准教授に電話した。紗理奈の親せきが見つかり、岩崎翁との対話をかいつまんで報告する。 「良かった! 紗理奈の行動が見えてきましたね。その、岩崎家に伝わる話を早く知りたい。紗理奈が、許婚か漁師のどちらかに繋がる訳だ。意外な展開になりましたね」 「ええ、興味深い内容です。ただ、問題... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ)Ⅳ

     私は冬の寒さに弱い。日本海の厳しい寒さを想像するだけでも、体が凍え行動を鈍らせる。冬の間は、佐渡に関する資料を集め、紗理奈が求めていたものを調べた。気になるものが見つかると、福沢准教授に電話して意見を交わす。  佐渡に遅い春が訪れた。初秋まで五ヶ月、なんとしてもヒントを得たいと思った。私は新幹線... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ)Ⅲ

     背中に悪寒が走り、伝説を肌で感じた。 《一年後に訪れ、確かめることにしよう》  再度、お堂に手を合わせると、その場を立ち去った。東京に戻り、ネットで地方紙に関連記事がないか検索する。やはり、小さな記事が載っていた。  十五年前、岬の伝説に魅せられた若い女性が、お堂の前から姿を消した。当初は、投身... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ)Ⅱ

    「待って、紗理奈さん待って!」 《時間がないって、どうしてなんだろう?》  私は後を追いかけた。岬の上に来たが、彼女の姿が見当たらない。古くこぢんまりしたお堂が建っているだけだ。反対側の道に降りた気配がない。 《これは、どういうことだ。確かにこの岬へ上がったはずだが・・》  しかたなく、私は浜辺に... 続きをみる

  • 冥府の約束 (大河内晋介シリーズⅡ)Ⅰ

     真夏の青い海原と白い砂浜。海辺の心地よい潮鳴りに耳を済ませ、寡黙なふたりは手を繋ぎ歩いた。時折、数羽の海猫が煩わしく鳴き騒ぐ。波際の砂浜には、独りの足跡だけが残っている。砂浜の先に小高い岬が海へ突き出ていた。ふたりはゆったりと登る。岬の上は爽やかな風が吹き、ふたりを先端へ誘う。  ふたりが出会っ... 続きをみる

  • 雨宿り  完

    【最後の手紙を美佐江さんに捧げる。  私は、これからお国のために戦地へ行きます。決して戻れるとは思っていません。  あの雨の夜に、初めて貴女にお会いできたことは、偶然ではなく運命であると信じて  います。この世に生まれ、初めて経験する異性への思慕。これほど素晴らしい感情を、私に芽生えさせたのは貴女... 続きをみる

  • 雨宿り  Ⅴ

     窓から心地よい風が吹き込む。ソファに寛ぎテレビを見ていたが、睡魔に襲われ瞼が重くなってきた。  誰かが私を呼ぶ。その声に反応して、私は目を開けた。目の前に和服姿の美佐江が立っているではないか。何故、彼女がここにいる。私は愕然として目を瞬き、彼女を見詰めてしまった。 「えっ?」 「あなたが、新之丞... 続きをみる

  • 雨宿り  Ⅳ

    「さて、ここからが問題なんじゃ。それで・・」  祖父は中庭に目を置き、真剣な眼差しで何かを見詰める。私は近くにある冷水器からお茶を汲み、祖父の横のテーブルにコップを置いた。祖父は一口飲み、喉の渇きを潤すと再び語り始めた。  敗戦の翳りが感じられる頃、新之丞が学徒出兵に召集された。祖父は工学部のため... 続きをみる

  • 雨宿り  Ⅲ

     寝汗で下着がびっしょりだった。シャワーを浴び気持ちがさっぱりする。 《あの名前は誰だろうか。腑に落ちない。オヤジに聞けば分かるかもしれないなぁ》  その日の夜、仕事から帰るとオヤジに電話した。 「オヤジさん、元気かい?」 「どうした、お前から電話が来るなんて珍しいじゃないか? まあ、こっちはふた... 続きをみる