忘れ水 幾星霜 第五章 ⅩⅢ
その場の雰囲気を変えることができた。しばらくして、海老名JCTから圏央道に入る。すでに、夕刻の四時過ぎ、冬の陽が沈みかけている。
「千香ちゃん、疲れたろう?」
「平気よ。輝坊ちゃんは、疲れたでしょう。もう若くないんだから、無理しないでね」
「いや、まだ若いから、平気さ」
「またまた、ウソをつく! 私には分かるのよ」
確かに、輝明は疲れている。しかし、千香を思えば、疲れたと言えなかった。
圏央道を抜け、走り慣れた関越高速道へ順調に乗り入れた。最初のサービスエリアに止まり、休憩をする。千香は寝ているようなので、起こさずに彼だけトイレへ行く。戻る途中、高崎のF病院に電話を掛けた。
「もしもし、金井と申しますが、看護主任の佐々木さんをお願いします」
しばらく待たされてから、電話口に佐々木が出た。
「はい、佐々木ですが・・。今、どちらに・・」
現在位置を知らせ、概ねの到着時間を伝えた。ほぼ一時間で到着する予定である。
「千香ちゃん、もう直ぐだからね・・」
輝明は運転しながら、バックミラーで千香の様子を確かめる。彼女は好きな映画音楽を聞き、瞼を閉じ静かに眠っていた。輝明は安心して前を向く。前方の赤いテールライトに誘われ、ひたすら高崎に向かって車を走らせた。
八時前に、F病院の玄関口に着いた。佐々木主任は他の看護師を呼び、千香をストレッチャーに寝かせて病室へ連れて行く。輝明は、受付で手続きを済ませ、兄に電話する。
「兄貴、F病院に着いて、千香ちゃんを入院させたよ」
「そうか、長い運転で疲れたろう。ご苦労さん・・」
「うん、まあね。明日、会社へ行くからね」
電話を切り、急いで三階の病室へ行く。病室には、当直医が千香の状態をチェックしていた。彼は廊下で待つことにする。そこへ、佐々木主任が来たので、前の病院から預かった紹介状とサマリー(看護状況書)を渡す。
病室から当直医が出てきた。輝明は黙礼する。
「患者さんは、お疲れのようだから、点滴で休ませますね」
「はい、ありがとうございます」
輝明が病室に入ると、千香が手招きをした。
「どうしたの、千香ちゃん?」
「ううん、病室に運ばれたけど、輝坊ちゃんがいなかったので、心配したわ」
「手続きしたり、兄貴に電話していた。それに、先生がいたから、廊下で待っていたんだ」
「でも、顔を見たから安心した・・」
「大丈夫だよ。いつも近くにいる・・。明日は、早く来るからね」
千香の気持ちを汲みとり、彼女の手を握る。看護師が点滴を始めた。輝明は部屋を出るときに、振り返って軽く手を振る。千香も笑みを浮かべ、ちょこっと手を振った。