嫌われしもの 遥かな旅 Ⅹ
のらりくらりと言葉を交わすマダムの対応に、言い知れぬ怒りが湧く。もう、我慢ができないとワシは思った。
「とにかく・・、ですな!」
その瞬間、黒ピカがサッとワシの前に出る。豊満なマダムの体を軽くタッチした。
「お美しいマダム・イヤーネ、南米から帰国したら横浜に来ます。死ぬまでお仕え致しますから、是非、貨物船の場所を教えてください」
《えっ、なんだあ? お前の、この対応は? またまた鳥肌が立ってしまったぞ》
「ワオッ、エクセレンテ! 私の坊や~、分かったわ。教えるから、必ず戻りなさい。来なかったら、お仕置きよ。いいわね! あ~、待ち遠しいわ。ルンルン・・」
「畏まりました。イヤーネ様」
マダム・イヤーネは貨物船の名前を教え、従者にパナマ船籍の貨物船アマゾンブリータまで案内させる。
「黒ピカよ、お前のお陰で助かった。マダムはワシ好みではない。うんざりしていた。お前の機転は大した度胸だった。礼を言う」
「喜んでいただき光栄です。リーダー」
翌日の午後、二匹は無事に横浜港から出航できた。
「おい、黒ピカよ。これからデッキへ行こう。お前に見せたいものがある」
ワシは、ゆっくりと遠ざかる日本の姿を、黒ピカに見せる。横浜の街並みの上に、夕日に映える見事な富士山の姿。
《二度と日本の土地を踏むことが、叶わないかもしれん。黒ピカよ、この景色をしっかり と目に・・。あっ、そうだ。忘れるところだった》
「さらば祖国よ、波間の向こうに消えゆく・・、
・・?ワシは行く。
さらば短き・・、・・? 果てしなく続く。
生まれし国よ、今や別れん・・?」
「リーダー、どうしたんですか? 急に独り言を・・」
「あ、いや、これは有名なイギリスの詩人バイロンの詩だ。船に乗ったら朗読するつもりだったが、アッハハ・・、忘れてしまった。フフフ・・、恥ずかしいことだ・・」
「オイラには、ちんぷんかんぷんだ。教養がないので・・」
黒ピカは、自分の教養の無さにしょげる。ワシはしまったと思う。責任はワシにあるからだ。
「お前は、これから色々なことを学ぶと思う。特に今回は、お前にとって大切な旅になるはずだ。教養や知性は、経験から学べる。だから、この旅で必ず成長して帰れると、ワシは信じている」
貨物船アマゾンブリータは横浜を離れ、東京湾から外洋へと向かう。もう懐かしい陸の姿は見えない。淡い月明かりが、泡立つ波を照らすだけであった。