忘れ水 幾星霜 第六章 Ⅶ
胸ポケットの携帯を取り出し、受信ボタンを押す。
「輝君!」
霞む目の前に、亜紀の顔が浮かび上がった。
「あ、亜紀さん! 早く来て・・」
「えっ、まさか・・、千香が危ないの?」
「亜紀さん、もう余裕がないよ」
「明日の朝、出発よ。二日後の夕方に到着するわ」
「本当だね?」
「ええ、間違いないわ。エミール航空ドバイ経由の飛行機でね」
「必ず、迎えに行くよ」
「あ~ぁ、千香。会いたい。輝君、千香をお願いね」
亜紀の声と帰国の知らせが、輝明の心身に力を湧きあがらせた。
《そう、オレがしっかりしなければ、奈美や貴志に顔を見せられない》
輝明は、千香の子供たちに連絡した。兄にも報告する。
翌日の朝早く、奈美が駆けつける。ロビーで待っていた輝明と一緒に病室へ向かう。今朝の千香の顔は、幾分赤みを帯び奈美と会話ができた。
「奈美、寒くなかった?」
「ママ、他人のことはいいの。ママの方が心配よ。しばらく、高崎にいるからね」
「心配かけてごめんね。あなたの手を貸して」
千香は奈美の手を両手で包む。
「でもね、私には輝坊ちゃんがいるから、平気よ」
「ふふふ・・、そうよね。ママには輝叔父さんがいるから、安心ね。ふふ・・」
「何が可笑しいの、奈美?」
「ううん、なんでもない」
ふたりの会話を後ろで聞く輝明。照れ臭く頭を掻く。彼は親子ふたりを病室に残し、階下のロビーへ行く。そこへ兄が現れる。病室に案内した。
「あれ、奈美ちゃんかい? 久しぶりだね」
「あっ、高崎のおじさん。ご無沙汰しています」
兄は腰を屈めて、千香に顔を寄せる。
「やあ、千香ちゃん」
「佐兄ちゃん、お見舞いありがとう」
「でも、奈美ちゃんは千香ちゃん似で、美人になったね」
「そうでしょう。でも、輝坊ちゃんは思っていないの。奈美の方が美人だって・・」
千香が、輝明に顔を向けて文句を言う。兄と奈美が、両方の顔を見比べて笑い出す。
「ママ、文句を言うほど元気なら、安心だわ」
「千香ちゃん。退院したら伊香保温泉でゆっくり静養できるよ。なっ、輝坊!」
「うん、亜紀さんが明日の夜に到着するよ。マルコスも一緒だ。みんなで伊香保に行くことができる」
「ママ、良かったね。私もマルコスに会いたいわ」
「ん、うっ・・、あっ、あ、あ・・」