忘れ水 幾星霜 第三章 Ⅵ
亜紀も千香と同じものを注文する。北島と輝明はカツ丼定食を頼んだ。
「さっきね、亜紀と話をしたの。ん? 輝坊ちゃん、聞いている? ねえ!」
「あっ、えっ、なに?」
「まぁ~、嫌だ。男の人って、年取るとすぐにボケが始まるのよ」
「冗談じゃないよ! まだボケませんからね」
「うふふふ・・、相変わらず、ふたりは昔のままね。仲の良いご兄弟ですこと。本当に羨ましいわ」
北島が思いがけない会話に大笑い。
「アッハハハ・・、ええ、本当ですね。大学の仲間から聞いた話では、考えられない奥様です。ハハ・・」
横に座る千香が、輝明の二の腕を強く抓る。
「い、痛い! 千香ちゃんは直ぐに抓るんだよ。亜紀さん、僕の体中が痣だらけだ」
これには、亜紀も千香の顔を見て笑い出した。
「うふふ・・、千香は・・」
「もう、笑われてしまったじゃない。輝坊ちゃんのせいよ」
「オレが原因じゃない」
「いいえ、あなたよ! 聞いて亜紀! 抓る訳があるのよ。小さい頃にね、私が輝坊ちゃんの家に泊まりに行ったの。そしたらね、一緒に寝ていた輝坊ちゃんが、私のお尻を触ったのよ」
「ああ~、それは嘘だよ。触ってなんかいないよ!」
亜紀と北島は、食べるのをやめてふたりの顔を、交互に見ていた。
「私、直ぐ伯母さんに言いつけたの。伯母さんは怒って、代わりに輝坊ちゃんの手を抓りなさいって言ったのよ。それからよ、輝坊ちゃんが悪いことをしたら、抓るようになったの。ちゃんと、伯母さんの許可を得ているのよ。分かった!」
亜紀は聞きながら、クスクスと笑いを堪え、北島も目を下に、必死に笑いを堪えている。
「千香ちゃん、亜紀さんの前で良く言えるね。もう、呆れたよ」
「もうすぐ天国で伯母さんに会って、確認するからいいわよ」
拗ねた千香の顔と言葉に、全員が爆笑した。笑いを堪えながら、それぞれの食事に没頭する。
亜紀は、ふたりの様子を時々窺う。
《長い時間が過ぎたけど、記憶は薄れることなく生きていたわ。千香のたおやかな性格や輝君の趣のある表情は、ずっと思い描いていた通りだった。あ~ぁ、一緒に過ごしたかったな》
彼女の視線を感じた千香が、不思議に思い亜紀に尋ねる。