忘れ水 幾星霜 第五章 Ⅸ
《何十年と見続けた千香ちゃんの顔だ。この顔が見られなくなる。考えるだけでも虚しいなぁ・・》
冬の陽は沈むのが早い。病室の中が薄暗くなったが、輝明は気にもせずに独り戯言を呟いていた。
「歳を重ねるごとに、親しい人たちとの死別が多くなる。あ~ぁ、つくづく考えてしまうなぁ。むしろ先に逝く方が、悲哀や虚無感をこれほど味わなくて済むかもなぁ~。こんなことを話したら、千香ちゃんはすごい剣幕で怒るだろう。・・・、あっ、大事な人を忘れていた。亜紀さんは絶対に悲しむ。そうだ、やっぱり長生きしなければ・・。バカだな、オレは・・。でも、もし亜紀さんが・・。やめろ、考えるな!」
穏やかに眠る千香を起こさないよう、輝明は音を立てずにそっと病室を出る。彼は、千香から怒られないように、簡単な手紙を書いて枕元に置いた。
【ただいま。久しぶりに可愛らしく眠っていたから、顔だけ見て家に帰るよ。 輝明】
案の定、家に戻って夕飯の支度をしていると、千香から電話が掛かってきた。
「こらっ! 輝坊! 勝手に人の顔を見て帰ったな!」
「はい、千香様。大変お元気で結構な様子。お裁きをいかようにもお受け致します」
「いや、可愛らしいと書いてあったから、今回は無罪放免だ」
「ははぁ~、有り難きお言葉・・。アッハハハ・・」
「ウフフ・・、笑っちゃぁダメよ。最後まで真面目にやって!」
「ハハハ・・、もういいよ。明日、朝一番に行くね。夕飯が冷めちゃうから・・」
「うん、分かった。じゃぁ、まっ・・、うっ・・」
「どうしたの? 千香ちゃん、もしもし・・」
「・・・」
電話が途切れた。輝明は不安を覚える。急ぎ着替え、家を飛び出した。手に持つおかずのコロッケを口に頬張り、夢中で運転する。病院の駐車場に車を停め、玄関口まで走った。病室に入ると医師と看護師が振り返り、輝明に顔を向ける。
「ご心配なく、容態は落ち着きましたから」
若い医師が輝明に伝えた。輝明はホッと胸を撫で下ろす。
「お世話になり、ありがとうございました」
医師は軽く頷き、病室から出て行った。輝明は息を大きく吸い込み、フーッと吐く。心の動揺がようやく落ち着いた。
「薬が効いて、朝まで目を覚まさないでしょう」
若い看護師が、千香の体に布団を丁寧に重ねる。
「そうですか、ありがとございます」
その看護師が、間切りのカーテンを静かに引き、病室の照明を落とす。部屋全体がほの暗くなった。看護師の動作を目で追っていたが病室から出て行くと、輝明はベッドに寝ている千香へ目を戻した。彼女は目を閉じ穏やかに眠っている。
《千香ちゃん・・》
輝明は院内の消灯時間まで付き添う。彼は新幹線の疲れや千香の心配で体が重く、家に戻るのが億劫なほど辛かった。