忘れ水 幾星霜 第三章 Ⅰ
機内アナウンスが流れ、一時間ほどで国際空港に到着することを伝えた。現在のブラジル時間、天気、気温などが慌ただしくアナウンスされる。
「輝坊ちゃん、朝食を残さないで、ちゃんと食べてね」
「うん、食べているよ。だけど、体を動かしていないから、お腹が空かないんだ。千香ちゃんは、あまり食べていないけど、大丈夫かい?」
「私はジュースとパンで充分よ。それより、気温が心配よ。冬から夏でしょう」
「そうだね、体調が良くないと思ったら、我慢しないで教えてね」
「はい、はい、直ぐに知らせるわ」
「空港に着いたら、薄着の準備してね」
「はい、はい、分かりました。お節介屋の輝坊ちゃん。ふふふ・・」
「お節介じゃないよ。千香ちゃんの子供たちから、耳にタコができるほど頼まれた。それに、ふたりで約束したもんね?」
「・・・」
千香は反論しないで黙っていた。輝明の心配を、しっかり承知しているからだ。それに、輝明が彼女に内緒でブラジルを訪れていたことを、輝明の兄から聞いている。滞在中は、彼と北島に任せることで安心していた。
機首が徐々に高度を下げ始めた。千香の横の小窓には、雲の筋が激しい勢いで後ろへ流される。輝明は、この雲の流れを二度経験していた。最初は、初めて訪れるブラジルに期待と不安を感じながら眺め、二度目は、期待も不安も覚えず、ただ眺めていたに過ぎなかった。
今回は、期待と不安が重圧となり、平静を装うのに苦労している輝明であった。
《輝坊ちゃん、冷静にしているけど、やはり不安なんだろうな。再会がうまく行くことを願うわ》
到頭その日が訪れた。この一週間、亜紀の心は揺れ動き、果たして正面から向き合えるのか苦渋の日々を過ごしていた。
《あ~ぁ、心の準備ができていないわ。どうしよう・・》
{ピンポ~ン}
ドアのチャイムが鳴った。ドアを開けると、約束したマルコスが迎えに来てくれた。
「ボン・ヂーア、マルシア」
「マルコス、おはよう」
亜紀は、朝早くに来るマルコスのために、サンドイッチとミルク入りカフェを用意していた。
「わぁ~、美味しそう。お腹がペコペコだ!」
「さあ、早く食べてね。今日は、ありがとう」
「ううん、問題ないよ。佐和さんからマルシアを守れって、言われたから。守れなかったら、園の仕事を首だって・・さ。アッハハハ・・」
彼はサンドイッチを口の中に頬張りながら、照れ臭そうに答える。
「うふふふ・・、面白いマルコス。慌てないで食べなさい」
二時間後の七時過ぎに、サン・パウロ郊外のグアリューリョス国際空港に到着。ふたりは駐車場から到着ロビーまで、あたふたと走った。