ウイルソン金井の創作小説

フィクション、ノンフィクション創作小説。主に短編。恋愛、オカルトなど

創作小説を紹介
 偽りの恋 愛を捨て、夢を選ぶが・・。
 謂れ無き存在 運命の人。出会いと確信。
 嫌われしもの 遥かな旅 99%の人間から嫌われる生き物。笑い、涙、ロマンス、親子の絆。
 漂泊の慕情 思いがけない別れの言葉。
 忘れ水 幾星霜  山野の忘れ水のように、密かに流れ着ける愛を求めて・・。
 青き残月(老少不定) ゆうあい教室の広汎性発達障害の浩ちゃん。 
 浸潤の香気 大河内晋介シリーズ第三弾。行きずりの女性。不思議な香りが漂う彼女は? 
 冥府の約束 大河内晋介シリーズ第二弾。日本海の砂浜で知り合った若き女性。初秋の一週間だけの命。
 雨宿り 大河内晋介シリーズ。夢に現れる和服姿の美しい女性。
 ア・ブルー・ティアズ(蒼き雫)夜間の救急病院、生と死のドラマ。

浸潤の香気(大河内晋介シリーズⅢ )完

「えっ、前にも?」
「冷静になれ、君も見えるはずだ。あの時、千代が能力を与えた・・」
 若月は目を閉じ、気持ちを穏やかにする。
「あっ、確かに見えます。前の人からは、鋭さを感じない」
 電車が停まった。いつも通り最後に降りる。改札口を抜け駅前に出た。ポツリポツリと雨が落ちて来たので、ふたりは早足で家路に向かう。家に着くと、すべての明かりを点けた。
 若月に夜食を任せている間、私は沈香を焚いた。香りが部屋一面に漂い始める。
《いい匂いだ。これなら邪鬼も忍んで来ないだろう》
 しばらくして、若月が用意したラーメンをふたりで食べる。意外にうまくできていた。食べ終わり、ふたりは紅茶を飲みながら雑談を交わす。
「それにしても、主任が霊に通じ合えるのは、何かきっかけがあったのですか?」
「いや、特にないよ。強いて言えば、前に話した鯉の化身かな?」
「へぇ~、そうなんだ。奇妙なことですね」
「君も、感じて見えるようになったじゃないか」
「う~ん、良いか悪いか判断できないけど・・」
「確かに判断できないと思う。でも、決して悪用しないこと」
「ええ、それは承知しています」
 部屋の照明がチカチカと不規則に点滅する。
「・・ん?」
 外の風が家屋を揺らすほど、ゴオーと吹き荒れた。ふたりは同時に辺りを見回す。唸るような不気味な声が聞こえてきた。
「おい、若月! 動揺するな、平静を保て」
 若月は、ゴクンと生つばを飲み込み、息を整えた。
「は、はい。了解です」
 カーテンの隙間から見える窓に、血走った鋭い眼差しの邪鬼が顔を覗かせた。想像以上の邪悪な顔を見た若月は、尻込み体を硬直させる。私は不動明王の像を、窓に向け掲げた。邪鬼は驚きの顔を露わに見せ、唸り声と共に窓から消える。バリバリと鋭い爪で、何かを引き裂く音が聞こえた。
 外の風は穏やかになり、照明も元に戻る。その後、静かな夜を過ごすことができ、私たちは安堵して眠れた。
 翌朝、駅前の喫茶店で朝食を済ませ出社する。ただ、私は家の前の街路樹に、邪鬼が残した生々しい傷跡を若月には黙っていた。一日中仕事に追われ、若月に会うことができなかった。夕方になり、ようやく顔を合わせる。
「主任、いよいよ渡す時が来ましたね」
「うん、いよいよだ。やつらには、人間を簡単に取り殺す力がある。注意を怠るな!」
「はい、もちろんです」
 予定通りに池袋駅に着き、約束の車両に乗ることができた。座席に着きふたりはホッとする。若月が雑誌を読み始めた。冷静を心掛け眼を閉じていた私だが、数駅過ぎた頃から邪鬼の目線を感じるようになった。それも、相当な数である。
 私は目を開け、視線を前に向けた。千代が数人の守人に囲まれ、前の席に座っていた。
私に笑顔を見せる。
 電車が駅に着いた。千代が、私たちを近くに呼ぶ。
「さあ、私から離れないで、ゆっくり歩くのよ。いいわね」
 私は頷き、周りを警戒した。私たちの背後に守人が歩く。駅前に出ると、雑木林の方へ向かって歩いた。
 突如、景色が変わり境界線の縁に立っていた。目の前に内室が現れ、千代と並び私たちを出迎えた。
「苦労を掛けた。例の物は・・、用意できたのか?」
 私は内室に黙礼してから、背広の内ポケットに忍ばせてあった沈香を取り出す。こちらの様子を窺っていた権助が沈香を見ると、闇の空気を揺るがすほどの雄叫びを上げた。私と若月は一瞬たじろぐ。
 おもむろに沈香を受け取った千代は、目に涙を浮かべ礼を言った。
「大河内さん、約束を守り本当に感謝します」
「ところで、権助は改心しますかね?」
「いいえ、無理のようです。改心すれば元の姿に戻れ、黄泉の世界へ行けると内室が諭したが受け入れなかった」
「そうですか・・」
「大河内さん! これでお別れですが、この世界を閉じる一瞬が大変危険なの。すでに、あそこの穴から邪鬼どもが待ち構えています。くれぐれも早く境界線から離れてくださいね。さようなら・・」
 閃光が輝く前に地鳴りが起こり、私たちはバランスを崩す。若月が境界線の中に転倒した。待ち構えていた邪鬼の群れが、ゾロゾロと闇の穴から溢れ出て来る。私は般若心経を唱えながら赤い箱を投げつけた。だが、邪鬼の数が多すぎて、役に立たない。
 その時、若月がショルダー・バックからペットボトルを取り出し、中の赤い液を邪鬼に浴びせた。一番前にいた邪鬼は権助であった。襲う瞬間に浴びせられた権助は、仲間の餌食になりバラバラに引き裂かれる。
「若月! それは、なんだ?」
「トマト・ジュースです! まだ有りますから、主任も使ってください」
 ペットボトルを受け取り、急ぎキャップを開けて撒き散らした。見る間に、邪鬼同士の修羅場と化した。
 その隙に境界線の外へ飛び出した私たちの前で、瞬時に閃光が輝く。私は地面に座り込み、空を見上げる。雲ひとつ見えない夜空には、満月が眩しく輝いていた。
 沈香の香りを含んだ爽やかな風が、ふたりの頬を軽く触れ流れ去った。

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