忘れ水 幾星霜 第三章 Ⅶ
「どうしたの? 私たちの老けた顔が、見るに忍びないと思ったのね。確かに、亜紀は日焼けして若く健康的に見えるもの。妬んでしまうわ」
「うん、ボクも自分が恥ずかしいなと思っていた」
「ご、ごめんなさい。そんな目で見ていたかしら。絶対に違うわ。本当よ。長く忘れられないふたりが、現実に目の前にいるなんて、信じられない思いで見てしまったの。あなたたちを傷つけた私を受け入れ、違和感なく再開してくれ・・」
最後の言葉が消え、涙が溢れだした。千香が立ち上がり亜紀の側に近づく。輝明は、すかさず隣のテーブルの椅子を引き、千香を支えて座らせる。
千香は亜紀の右腕に手を置き、肩に顔を寄せてむせび泣いた。亜紀も千香の頭を左手で抱え、共に泣く。同席の輝明と北島は、目配せして静かに見守ることにした。
しばらくすると、落ち着きを取り戻した千香が、亜紀の耳元にボソボソと小声で話し掛ける。
「亜紀、私と輝坊ちゃんは、あなたから裏切りや失望なんて感じていないわ。いい、私たち三人は、長く深い眠りの中にいた。目が覚めたら、知らない間に三十年が勝手に過ぎていた。それだけよ。何も変わってなんかいないわ。ただ、顔が老けて見えるだけ・・」
急に、クスクスと肩を震わせ亜紀が笑いだした。静観していた輝明と北島が、何事が起きたのかと唖然とする。
「えっ? 私が何か妙なことを言ったかしら。亜紀、どうしたの?」
肩から手を離さずに、驚きの目で亜紀の顔を見る千香。
「うふふふ・・、自分が話したことを覚えていないの? 千香、大丈夫?」
亜紀が顔を上げて、千香の話を説明する。輝明も北島も納得し、大笑い。千香だけが真顔で蚊帳の外に置かれた。
「なによ! 私をのけ者にして、失礼ね。だって、本当のことを言ったのよ」
「ごめん、ごめん。確かにオレや千香ちゃんは、亜紀さんに対して悪く思っていない。むしろ、オレの方が間違っていた」
《まだ、再会したばかりだ。これからゆっくりと話す機会が来るだろう。それからでいいと思う》
「そうよ、輝坊ちゃんが一番だらしないの。男らしくしなさい。いいわね!」
「はい、はい、お姉さま」
《輝君、千香。原因は私よ。私が悪いの・・》
北島が千香の体を心配して、部屋で休ませる提案をした。
「そうだね、旅の疲れや時差ぼけを考えると、少し部屋で休もうか千香ちゃん」
「嫌よ。平気だから、亜紀とここで話をするわ」
「いや、ダメだ。来る前に約束したよね、素直にオレの言うことを聞くって!」
輝明に叱られた千香は、静かに立ち上がり彼の顔を睨みハンカチで涙を拭う。
《なによ、そんなに怒らなくても・・。輝坊ちゃんは・・》
「わかり・ま・した。亜紀! 私と一緒に部屋へ来てくれる?」
千香に誘われた亜紀が、目線で判断を仰ぐ。輝明は優しい眼差しに戻り、軽く会釈を返した。