忘れ水 幾星霜 第一章 Ⅹ
ガタガタと列車が揺れる。大宮駅の構内に近づき車内が薄暗くなったが、直ぐにプラット・ホームの照明で明るくなった。大宮駅に予定より十五分遅れて到着。ふたりは駅の構内を走り抜け、京浜東北線の始発ホームに辿り着いた。発車ぎりぎりに乗り込めホッとする。
車内は座れる状況ではなかった。仕方なく、吊革にぶら下がる。ふたりは会話も無く外の景色を眺めながら横浜へ向かう。輝明は車窓に目を置きながら、考えていた。
《そうだ。今思えば、あの水沢山のハイクも、この別れの伏線だったのか。ああ、なんで気が付かなかったんだろう》
二週間前の土曜日の夜。
「もしもし、輝君。こんな時間にごめんね」
「はい、いいえ、別に構わないです。本を読んでいただけですから・・」
「あの~、・・・」
「なんでしょうか?」
亜紀の顔を思い浮かべ、ドキドキしながら待った。
「実は、お願いがあるの。明日の日曜日だけど、予定があるかしら」
《おっ、デートの話かな》
「いいえ、無いです。有っても無いと答えます。亜紀さんの願い事は、すべて喜んでお受けいたしますから・・」
「ふふふ・・、ありがとう。心遣いとても感謝します。だけど、何をそんなに改まった話し方をするのよ。緊張しちゃうわ。やめてよ、お願い」
「はい畏まりました。ハハハ・・」
「もう・・、輝君といったら・・。まあ、いいわ。それでね、どこか景色の良い場所へ、私を連れて行けるかしら?」
「ん~、待って! う~ん、そうだ! 伊香保温泉へ行く途中の水澤観音を知っていますか?」
「聞いたことはあるけど、行ったことは無いわ」
「その水澤観音の裏手に水沢山があって、その頂上からの眺めが絶景です。ボーイ・スカウトの訓練で幾度か登ったことがあるから、間違いないですよ。特にこの季節は、紅葉が見事です」
亜紀の答えが戻るまで、受話器を持つ手に力が入る輝明であった。
「じゃあ、そこへ私を連れて行って・・、お願いよ。お弁当は私が用意するから」
「本当ですか? やった~。亜紀さんとハイクに行って、お弁当も食べられるなんて最高に幸せだあ~。駅の西口で九時に待っています。楽しみだな!」
「私も楽しみにしているわ。じゃあ、九時にね。ありがとう、おやすみなさい」
「はい。でも、嬉しくて眠れそうにないな」
「だめよ。早く寝なさい。明日は絶対に遅れないでね」
「は~い、おやすみなさい」