忘れ水 幾星霜 第三章 ⅩⅢ
「えっ、あっ、はい。そうですが」
輝明は、突然に自分の名前を呼ばれ、うろたえ戸惑う。
「群馬県人会の高山です。お忘れですか? もう十年は経ちますからね。又、探しに来られたのですか?」
輝明は思い出し、戸惑いながらも返答する。
「ああ、その節はお世話になりました。実は、見つかりまして、今回は会いに来ました」
改めて頭を下げ挨拶すると、亜紀の顔を見るなり紹介した。
「この人です」
亜紀は思わぬ展開に、ふたりの会話を唖然と聞いていたが、直ぐに理解した。
「初めまして、横山と申します。どうして、ご存じなのですか?」
「はい、金井さんが県人会事務所へ消息探しに訪ねて来ましてね。二回ほどですか。残念ながら、お役にたてられず心配していました」
《なによ、二回も来たのね。それも県人会事務所と憩いの園の事務所は、直ぐ近くにあったのに・・。黙っていたなんて》
「私の家族は、南マット・グロッソ州へ移住しました」
「そうですか。じゃあ、大和田少尉の農場がある所ですね。でも、見つかって良かったですね」
輝明と亜紀は、ふたりして頷き顔を見合わせた。亜紀が静かに輝明の左手を握る。
「横山さん、是非、事務所へ遊びに来てください。新年会には必ずに・・」
「はい、必ず遊びに行きます。今後とも、宜しくお願いします」
「あ~、それは良かった。県人会の皆が喜びますよ。では、失礼します」
高山はふたりに握手して別れた。輝明はもう一度、頭を下げ感謝と別れの挨拶をする。横から、亜紀の強い視線を感じた輝明は、素直に打ち明けた。
「ごめん、隠すことではなかったと思う。確かに、あなたを探しに来ました。約束ですから。探せなくとも、せめて亜紀さんと同じブラジルの風と太陽を、肌に感じることができれば、自分にとって慰めになると・・」
亜紀は最後まで聞く必要なかった。彼女の意地悪な心は跡形も無く消え、恥じらいもなく彼の胸に飛び込んだ。
「おっ!」
彼女の勢いに押されたが、輝明も迷わずに受け止め強く抱擁したのである。
三階の事務所には、マルコスが留守番をしていた。
「佐和さんは、お出かけ?」
「うん、教会の仕事があるって・・」
「教会って?」
輝明が不思議そうに質問した。
「ええ、園長や佐和さんはカトリックの尼僧なの。憩いの園は、その関係から運営されているのよ」
「明日、佐和さんにお会いできるのが楽しみだな」