忘れ水 幾星霜 第三章 ⅩⅠ
「確かに・・、あの頃のボクは、あなたに会える喜びと同時に不安を感じていました。初めての恋心に、疑心暗鬼に押しつぶされ苦悩の毎日でした。ただ、あなたの本心を理解できたのは、水沢山の忘れ水を唇に触れたことや船上の別れ際の姿。それに、最後のデートで触れたあなたの唇と、絵葉書が亜紀さんの真意であると気付いた瞬間でした。遅すぎましたけど・・」
亜紀は、恥ずかしく顔を赤らめ、俯いて彼の話を聞いていた。
「何か、飲みませんか? ベラベラと話したら喉が渇きました。アハハハ・・」
「ふふ・・、そうね、私も恥ずかしくて喉がカラカラよ。うふふ・・」
彼の屈託のない笑いが、彼女の笑いを誘う。輝明の顔が和み、ゆったりとした座り方に変える。
「ボクは炭酸系のガラナを頼みますが、亜紀さんは?」
「私もそれでいいわ」
輝明は、ロビーのウエートレスに注文する。
「でもね、いつ交際を断られるか、常に怯えていました。あなたに振られたら、恐ろしい状況を考えていた」
「恐ろしい状況って、どんなこと?」
「例えば、フェリー・ランドの猿山に飛び込み、ボス猿に顔を引っ掻かれて死んじゃう」
亜紀は予想外の例えに目を見張らせ、続いて笑い出した。
「うっふふふ・・、ははは・・。止めてよ。ふふふ・・」
「もしかしたら、メス猿に惚れられ、猿山に住み込んじゃうかも。アッハハハ・・」
「て、輝君。もう、冗談はやめてよ。ふふふ・・。フェリー・ランドは、まだ在るの?」
「いや、もう閉園です。それに回転式レストランも無くなった」
「あら、残念ね」
そこへ、ウエートレスが冷えたガラナとグラスをテーブルの上に置いた。彼が、サインとチップを渡す。亜紀がグラスにガラナを注ぐ。シュワ―ッと泡が飛び散る。
「じゃあ、再会を祝して乾杯!」
「サウーヂ(乾杯)!」
ふたりはグラスを合わせた。
「ところで、今後の予定は?」
「うん、一週間ほど考えていたけど、千香ちゃんの病状が心配だ。早まるかも知れないが、彼女は反対すると思う」
「千香から余命のことを、直接に聞いたわ。どう・・、慰めればよいのか、言葉が・・見つからない」
《あ~、千香! 大好きな千香。どうして、千香なの?》
心が沈み、涙声に変わる亜紀だった。
《ありがとう、亜紀さん。オレだって苦しいよ。だけど、慰めの言葉は、千香ちゃんには似合わないんだ》
「亜紀さん、あまり深く考えないで欲しい。思いの外、千香ちゃんは死に対して達観している様子だから」
「でも、・・・」