忘れ水 幾星霜 第四章 Ⅱ
「わぁ~、中は広いのね。長椅子が数えきれない。それに、ドームの天井に描かれた絵が見事ね~ぇ。ほら、見て輝君。あのステンド・グラスから差し込む夕日の・・。言葉が出ないわ」
「そう、なんと表現したらいいんだろう。哲学的、詩的な言葉にしか置き換えられない」
「私なんて、無理よ。詩的音痴だから・・」
輝明がこの瞬間だと思い。亜紀の手を取って、聖壇の前に誘う。亜紀が聖壇の上にあるキリスト像を仰ぎ見る。
「亜紀さん、ボクと結婚してください!」
「えっ?」
突然の告白に、亜紀は戸惑い心が激しく騒ぐ。輝明が彼女の瞳を必死に捉えようとした。だが、彼女はキリスト像から目が離せないままでいる。
「・・・」
《嬉しい。でも、輝君は狡い。こんな状況の中で言うなんて・・》
「ごめん、突然に告白するなんて非常識と思う。でも、再会できたら必ず告白するつもりでいた」
輝明はポケットから、小さな青いビロードの小箱を取り出す。中にはお揃いの結婚指輪が入っていた。
《あ~ぁ、それは、私の人生に縁のないもの》
亜紀は目を見開き、体がワナワナと震える。力を振り絞り声を出した。
「輝君、あなたの気持ちは嬉しいわ。私のことを、ここまで考えていたなんて・・」
そして、目の前の小箱を、仕舞うよう彼の手を押さえた。亜紀は、彼に長椅子に腰掛けることを勧める。ふたりは聖壇の前に並んで座った。
「もっと前なら、結婚を承諾して一緒に日本へ帰ったかもしれない」
「いや、今だって、遅くないはず」
輝明は強い意志で、彼女を説得する。しかし、亜紀も固い信念で、彼の要求を拒む。
「待って! 私の話を聞いてくれる・・、輝君。私にとって、日本は遠い過去の国。ブラジルの生活が長く、日本は他の国なの。今更、日本の生活には馴染めない。もし、もしもよ。私が日本の生活に悩み苦しんだら、輝君は悲しむでしょう。それを思うと怖いの」
輝明は、膝の上に置かれた亜紀の手を握り、力を込めて説得する。
「その気持ちは十分に理解しているつもりだ。ようやく会えたあなたを、再び離すつもりはない。亜紀さんが生きている限り、忘れ水と同じくあなたを愛し守り続ける」
亜紀は聖壇のキリストを見詰めたまま、輝明の熱い息遣いと優しい言葉を耳から心へと導いていた。
《輝君、私も愛しているわ。でも、やっぱり結婚は無理。無理よ》
暫し沈黙の後、輝明から意外な言葉が語られ、亜紀は耳を疑う。