忘れ水 幾星霜 第一章 ⅩⅠ
翌朝、快晴のハイク日和。待ち合わせの高崎駅西口のバス停前。輝明が待っていると、爽やかな浅緑のブラウスに紺のスラックス、紺のリュックサック姿の亜紀が現れた。長い髪を小さな浅緑のリボンで束ねている。輝明は新鮮な気持ちでうっとりと見ていた。
「お待ちどうさま。何をそんなに見ているの? 私の格好がどこか変かしら?」
「いいえ、とても素敵なので、目が眩み倒れそうです」
「まぁ~、そんな言葉、どこから思いつくの。恥ずかしいわ。でも・・」
亜紀は慣れない言葉に困惑したが、ちょっぴり嬉しさを感じた。
「ごめんなさい。子供の言葉ですから、気にしないで・・」
「分かったわ。今後は、もっと子供らしい言葉を使ってね。お願いよ。ふふふ・・」
「はい、はい。じゃあ、バスが待っているので乗りましょうか?」
バスは時間通りに出発。乗客は少なく、ふたりは後方に並んで座った。座席が思いのほか狭い。バスの車体がカーブで振られる度に、ふたりの体が密着する。出発して間もなくは他愛ない話をしていたが、亜紀の体を意識した輝明は、全身が火照り落ち着かなくなってしまった。
《これじゃあ、まともに会話や景色を楽しむなんて無理だ。亜紀さんの触れる腿が熱く感じる。どうしよう、まいったなあ》
彼はこっそりと彼女の顔を窺ったが、平然としている様子。
《なんだか輝君の様子が変だわ。私だってドキドキして、心が乱れそうだもの》
「どうしたの? 具合でも悪いの? 急に黙って私の顔ばかり見て・・」
「う、ううん。な、なんでもない・・です」
輝明は首を強く振り、どうにか返事を返した。彼は喉がカラカラであった。
ようやく水澤観音入口のバス停に到着。
《ふ~、嬉しいけど助かった~。心の中を見透かされたら、嫌われたろうなぁ~》
バスから降りると、亜紀が石段横にある湧水を見つける。
「この湧水、飲めるの?」
喉の潤いを絶対的に必要とする輝明が、即座に一口飲んだ。
「ぷっふぁ~、うまい! とても冷たくて美味しいですよ」
次に亜紀が恐る恐る飲み、満足な笑顔を見せた。
「ほんと、甘く感じて美味しい」
石段を上がり水澤寺に参詣してから、1,194メートルの水沢山の頂上を目指す。亜紀のお弁当を彼のリュックサックに移し替え、狭い林道を彼女の歩くペースで登る。
二時間ほどで頂上に着く。展望は亜紀の予想を裏切ることは無かった。前方に雄大な赤城山の姿。周囲には上毛の山々の峰が一望できる。右方向に住み慣れた高崎の街並みが、秋の日差しにキラキラと輝いていた。
この風景に感激した亜紀が、拝むような仕草で両手を合わせ、しばらく体を動かさなかった。
「輝君、ありがとう! この景色は決して忘れない。私の心の中にしっかりと描いたわ」