忘れ水 幾星霜 第一章 ⅩⅤ
「もしもし、千香ちゃん? オレだけど」
「元気だった? 手紙を読んだかしら、どう思う?」
「ああ、読んだよ。体の具合は大丈夫なのかい? 確か、二年前に大腸のポリープを取り除いたよね。関係があるの?」
「うん、膵臓や他に転移したみたい・・。無理しなければ平気よ。心配してくれてありがとう。それで、私の提案は?」
「分かっている。でも、少し考えるよ」
「だめ! 考える必要はないでしょう。気の毒な病人なのよ、私は・・。神戸にいらっしゃい。来ないなら、私が高崎へ押しかけますからね」
輝明は、千香の元気さと強引に耐えられず、笑ってしまった。
「ハハ・・、分かった、分かったよ。元気で安心したよ。千香ちゃんのお好きなように・・。ところで、相談があるんだ。いいかな?」
ためらいながら、考えたことを伝えることにした。
「なにか重要なこと? 話してごらんなさい」
《輝坊ちゃんは、おそらく亜紀のことを考えているんだろうな》
「うん、実は亜紀さんに会いたいと思っている」
「そうね、私も同じことを考えていたわ。行きなさい。行って会えばいいわ。北島さんに連絡しておくから・・、でも・・」
「もしもし、どうしたの? 聞こえるかい?」
「聞こえていますよ・・。私も一緒に、行くことにするわ」
「ちょ、ちょっと待って・・。体が心配だ」
「主治医や子供たちに相談するけど、今なら無理しても行ける状態だもの。一度は行ってみたいと思っていた。亡くなった主人も行ったことがあるのよ。良い機会だわ」
輝明は、心配したが千香の元気な声を聞き、賛成するしかなかった。
「じゃあ、行こうか?」
「うう~ん、ブラジルか! 輝坊ちゃんと一緒だ。最高~!」
「千香ちゃん。あのさ~、亜紀さんを日本へ連れて帰ろうかと考えてもいる」
千香がなんと答えるか、彼は心配した。
「いいわよ。そうしましょう。だけど、私の家でね」
いとも簡単に承諾したので、輝明は拍子抜けする。
「だけど・・、亜紀さんが会ってくれるだろうか?」
「輝坊ちゃん! 今更、弱気になる必要はないでしょう」
「幾星霜。年月の流れは、人の心を簡単に変化させてしまうからさ。まあ、そう思っていた方が気が楽かな。来週に神戸へ行くよ。詳しいことは、その時にね」
「分かったわ。駅に着いたら電話してね。でも、私といるときは禁煙よ。いいわね」
「ん~、分かった。止めるから・・」
「そう、輝坊ちゃん、大好き!」
携帯電話を切り居間に行く、机の引き出しから二枚の色褪せた絵葉書を取り出す。一枚はホノルル、もう一枚はロサンジェルスから送られて来たものであった。
【日毎に、日本から離れて行くのね。必ず日本へ帰ります。待っていて下さい。
それとも、輝君が迎えに来てくれますか】
その後は音信が途絶え、三十年の歳月が流れた。