忘れ水 幾星霜 第三章 ⅩⅥ
「だって、アモール(恋愛)中だからだよ」
「ま、ま、また~、そんなことを言う」
亜紀は、チラッと輝明の顔を盗み見し、顔を火照らせ隣のマルコスの背中を叩いた。
「アモールに乾杯!」
北島が面白がり祝杯を挙げると、キョトンとしていた千香も意味を理解し、ジュースで乾杯した。
「ところで、マルコスさんは学生さんでしょう。専門は? それに日本語が上手ね」
「専門は法科です。弁護士を目指しているよ」
「千香ね、彼が弁護士になる理由があるの」
亜紀がマルコスの生い立ちを説明する。彼は、三世で幼少時に両親を亡くし、祖父母に育てられた。騙し取られた両親の農場を取り戻すために、弁護士を目指している。彼を育てた祖父母の願いでもあるという。
「昼間は憩いの園で働き、夜に大学へ通っている。ブラジルでは学生のほとんどが、働きながら夜に学校へ行くのよ。日本語は小さい頃から日本語学校で勉強。それに、祖父母が熱心に教えたから、日本人と変わらないわ」
「大変に苦労しているのね。じゃあ、亜紀がお母さん替わりで、いいんじゃない」
「ええ、そのつもりで接しているわ。でも、マルコスが世話を嫌がるでしょうね」
隣で聞いていたマルコスが、亜紀にハグをする。
「そんなことない。ぼくはマルシアが大好きだよ。マルシアがママィなら、セニョール、カナイがパパィになるんだね」
突然の成り行きに、全員が唖然とする。
「そうだ、そうだよマルコス。おめでとう、乾杯!」
「オブリガード(ありがとう)、セニョール、キタジマ。かんぱい!」
「うふふふ・・、うん、とてもいいアイデアね。亜紀、輝坊ちゃん」
「アッハハハ・・、こりゃあ参ったな! どうしようか」
「もう、輝君たっら。マルコスも、いい加減なことを平気で喋る・・。困るわ」
翌日の十時過ぎ、北島の車で憩いの園を訪れた千香と輝明。玄関ホールで、亜紀と佐和が出迎え談話室に案内される。
「どうぞ、気楽にされてください。これ、自慢のレモネードですが、お口に合うかしら?こちらのクッキーは亜紀さんが焼いたものです」
佐和が勧めると、千香が一口飲んでクッキーをつまむ。
「あら、さっぱりして美味しいわ。輝坊ちゃん、あなたも頂いたら?」
「はい、はい、もちろん頂きますよ」
「返事は、一度でいいのよ」
千香が諭すように注意したので、佐和は目を丸くして驚く。
「亜紀さんの説明通りね。本当に仲睦まじく羨ましいわ」
「そんなことは、ないです。いつも会えば口喧嘩ですよ。負けるのはボクですが・・」
「あら、私だって負けるわ。十回に一度の割合でね」