忘れ水 幾星霜 第三章 Ⅷ
「うん、でもカーマで休みながら・・」
「え、なに? どこで休むの?」
「カーマとは、ベッドのことです」
北島が直ぐに説明したので、また大笑い。
「ボクは、北島さんと打ち合わせが終わっていないから、ロビーに残ります。千香ちゃんのこと、宜しくお願いします」
亜紀は千香を支えエレベーターに向かうが、輝明の顔を流し見る。胸に狂おしい思いが湧く。
《どうして、こう切ないの。輝君の考え方が間違っているって、どういうことなの。どうして、ふたりは私を庇うのよ》
輝明と北島は一階のロビーへ行き、打ち合わせの続きを始める。輝明にすれば、亜紀との関係を中心に滞在する予定だが、やはり千香の容体も考慮しなければならない。
「北島さん! もし、千香の具合が悪くなったら、医師を紹介していただけますか?」
「はい、そのことは心配ありません。このホテルの近くに日本文化センターが有り、地階のサン・パウロ援護協会診療所の医師に対応を依頼してあります。それは、亜紀さんが勤める憩いの園の事務長が、手配されました」
「そうですか、渡航前に千香の子供達から、厳しく頼まれまして・・。安心しました。北島さん、感謝します」
「いいえ、私より亜紀さんが特に心配し、亜紀さんから事務長にお願いしたようです」
「分かりました。園を訪問できますよね。その時に、お礼を伝えます」
話が一段落したところで、北島がカフェを注文した。
《本当は、紅茶が飲みたいなぁ。でも、ここはブラジルだ。我慢しよう》
仲良く手を握ったまま、部屋に戻ったふたりはソファでくつろぐ。
「亜紀!」
「ん、なに?」
「私のルームは、こっちよ。輝坊ちゃんは居間の向こうのルーム。一緒になんか、寝ないわよ。安心して・・」
「そんなこと、当たり前じゃない。寝たければ、遠慮せずご自由にどうぞ」
《なにを向きになっているの。バカらしいわ》
千香の笑いを堪えたお澄ましな顔に、笑いを誘われる。
「ふふふ・・。もう、千香ったら許さない。参ったわ。さあ、ベッドに横になってね」
「なに言ってんの。カーマでしょう?」
千香が大真面目で言うものだから、再び笑ってしまった。千香は気を張り詰めていたのか、横になると大きく息を吐き疲労の顔を見せる。
「千香、大丈夫なの。心配だわ」
「うん、平気よ。少し笑い過ぎただけ・・」
瞼を閉じた千香の顔。
《やつれた顔だけど、綺麗な顔立ちね。あなたの友達になれて幸せよ》