「あ、あ~、真美・・」 真美の後ろ姿を見ながら、今の俺には彼女の温もりが必要だと感じた。いや、単なる温もりではない。彼女が愛しい存在となった。 《待てよ。これでは真美の思い通りだ。冷静に、冷静にならねば・・》 「いいのよ。冷静にならなくても、私が必要なんでしょう」 部屋から戻った真美が、微笑みながら俺の心を読んでいた。 「はい、これを読んで・・」 使い込んだ皮表紙の日記帳を、俺に差し出す。…
「防寒具だなんて、可笑しな表現だね。確かに温かいよ」 「でしょう~。気にいったかしら」 ますます密着する。 「勿論さ。最高級の防寒具だ! アッハハ・・」 「うふふ・・」 「ところで、明恵母さんの秘めた過去だけど・・」 室内に流れていた和やかな空気が、一瞬に滞り真美の顔が沈む。俺の左手は、彼女の小さな肩を抱き寄せる。真美は小さく頷き、小声で話し始めた。 「出産間近だったお母さんは、悪質な悪戯の…
半時後、別れを告げ箕郷に向かった。 運転する真美が、前方に注意を払いながら、意外なことを俺に告げる。 「ねえ、洸輝。実は・・、お母さんの心が、読めてしまったの。お母さんの心、とても悲しく辛い過去を持っている・・わ」 俺は信じられず、真美の横顔を見詰めた。彼女の頬に涙が零れ落ちる。俺は咄嗟に右手の人差し指でそっと拭く。その濡れる涙に、何故か俺はまごついた。ほんの僅かな沈黙が、とても長く感じて…
「でもね、お母さん! 不思議なことに、これは急に感じたの。それも、洸輝だけよ」 真美は俺の顔を見ながら、明恵母さんに打ち明ける。 「あら、そうなの・・。私も初めて主人に会ったとき、主人の心が読めたわ」 「えっ、嘘だろう? 本当かい?」 オヤジさんが、素っ頓狂な声を上げた。 「うふふ・・、本当よ。でも、今では読めなくなったから、心配しないで」 「な~んだ。良かった」 「あら、読まれては困ること…
「ご免なさいね。早く引き取るべきだった。随分、迷ったの。あなたのお母さんが、迎えに来ると思って・・。あなたが小学生になってから、密かに通い続けたわ」 「ええ、誰だか分からないけど、俺を見ている人がいると感じていた。ある時、仲間のヤッちゃんが、その人に声を掛けたら逃げちゃったらしい」 《俺は母親と思っていた。何故、逃げるんだ。どうして、俺の前に現れないんだ。顔を見たかった。一度でいいから・・》 「…
「何を騒いでいるの?」 「洸輝がお母さんって、呼べないらしいの。お母さんは、なんて呼ばれたい?」 「え~、そうね。明恵さんでもいいわ」 真美の瞳が輝く。俺は嫌な予感がした。 「それなら、明恵母さんと呼んだら・・、どうかしら?」 「まあ! 真美らしい発想ね。私は、それでいいわよ」 「それで決まりね。洸輝、そうしなさい」 真美の発想に、不思議と抵抗を感じなかった。俺は頭の中で、幾度も復唱する。 …
「今日は、夕飯までいなさい。洸輝君は、主人と仕事の話があるでしょうから・・。真美は私の手伝いをしてね?」 「もちろん、喜んでするわ。料理をたくさん教えてね、お母さん?」 ふたりは腕を絡ませ、楽しい雰囲気でキッチンへ行く。俺だって、甘えたい気分だった。 《自分の性格に、もどかしく情けない思いだ。屈託ない真美の性格が、とても羨ましく思える。あ~ぁ、お母さん、お父さんか・・》 虚ろな目でぼんやりし…
「子供を嫌う母親なんていないはず。あなたの幸せを考え、已む無い気持ちで施設へ預けたと思うわ。私が知るあなたのお母さんは、洸輝君と同じに心が優しかった」 《俺は信じない。絶対に信じない。二十五年間も音沙汰が無いじゃないか。たった一度も顔を見せていない。どんなに苦しい生活をしていようが、嫌いでなければ会いに来るはずだ。子は夫婦の鎹。とんでもない、俺は邪魔な存在なんだ。》 俺は息苦しく、小さな息でさ…
「真美、これは俺だけの問題じゃない。俺と一緒にやろう」 彼女は俺の気持ちを理解する。ふたりで他のロウソクを灯す。新しい家族四人は、灯されたロウソクを見詰めた。 「さあ、みんなで一緒に消してから、ケーキ―を食べましょう」 真美が音頭を取って、一斉に息を吹きかける。消えたロウソクから、四本の煙が立ちのぼり絡み合った。その様子を静かに見守る四人。大きく息を吸い其々の肺を満たしてから、ふ~っと吐き出…
「それで、いつからお店に来れるかな?」 「明日の朝、バイト先に辞める連絡をして、早めに行けると思いますが」 「そう、分かった。仕事の内容や給料などの話は、その時にするね」 「はい、宜しくお願いします」 座ったまま頭を下げた。本当に働けるんだと思うと、喜びに心が揺れる。 「良かったね、洸輝。しっかり働くのね。私のためにも・・」 「ふふ・・、もちろんさ。頑張らなきゃね・・」 真美が奥さんに呼ばれ…