日本航空JAL021便、十四時間ほどのフライトで到着したニュー・ヨークだが、わずか一時間半の休憩で再び夕間暮れのケネディ国際空港を飛び立った。それから十時間が過ぎたころ、左翼側の小窓の隙間から熱帯特有の強い陽の光が射し込んできた。 機内の照明が灯り、客室乗務員がホット・タオルを配り始めると、あ... 続きをみる
2017年9月のブログ記事
-
-
松原君が病院に運ばれ、たった今、亡くなった。佐野先生は嗚咽を必死に堪え、途切れ途切れに伝える。 「浩ちゃんは・・、『全身が・・焼けるように・・熱い、熱い』と・・言いながら、息を・・引き・・取ったの・・」 「・・・」 「付き添った・・、大・・大好きな・・お祖母ちゃんの・・手を握って・・」 「・・・... 続きをみる
-
松原君は、他の生徒との交流が苦手だった。嫌な思いを自分なりに描いている。手術によるしゃがれた声が、うまく相手に伝わらないと心配していた。そして、大きな音や声に鋭く反応し怯える。近くの誰かが叱られると、自分が叱られたと思い涙し悲しむ。 松原君に付き合うほど、彼の感受性の強さは私の体や心に深く浸透... 続きをみる
-
ゆうあい教室に戻ると、松原君が将棋盤を見詰めていた。しかし、心は別なところを彷徨っている。 「浩ちゃん、カルタでは勝てないけど、先生は将棋が強いぞ」 私は、彼の気持ちをスライドさせようと、軽い声で試みる。ところが、この後に、彼が持つ真意の優しい心ばえを感受させられた。 「先生・・、ボクは・・、... 続きをみる
-
梅雨明けの本格的な夏の日差しが、校庭の隅々を容赦なく熱していた。 その日の三校時が終わる頃、柴田母子が学校に現れた。柴田君は車中から出ようとしない。登校したことを聞いた松原君が、急いで三階から降りて駐車場へやって来た。炎暑の下で汗だくになりながら、彼らしい優しさで柴田君を教室に誘う。 しばら... 続きをみる
-
柴田君の家の窓は、カーテンがしっかりと閉じられていた。庭から呼び掛けるが反応しない。野中先生は用意していた手紙を、玄関の戸口の隙間に挟んだ。 「柴田君、来週にお母さんと一緒に来てね」 姿の見えない相手に声を掛けた。 「松原君が待っているよ。一度、顔を見せてあげてね」 私も姿を現さない柴田君へ... 続きをみる
-
スクール・カンセラーの野中先生が、私に近寄って来た。 「宮崎先生、今日は不登校生徒の家へ訪問しますか?」 「はい、これから出かけようと思っていました」 野中先生は、毎週水曜日に生徒や保護者のカウンセリングを担当している。 「では、私も柴田君の家に訪問したいので、一緒にどうですか?」 「ええ、構... 続きをみる
-
その翌日。二校時終了を知らせるチャイムが鳴り、私が職員室から廊下へ出ると体育着の松原君と出会った。手には体育館用シューズをぶら下げている。 「おはよう、松原君」 「・・・」 彼は私の顔を白目で見る。無言のまま行ってしまった。 「随分、機嫌が悪いようだな」 仕方なく反対方向の廊下を行く。数歩行... 続きをみる
-
鮮やかな青葉に囲まれた校庭は、透き通る陽の光に照らされている。本校舎から東校舎への渡り廊下を歩きながら、私はその風景を眺めた。 東校舎に入ると、冷ややかな空気がそっと顔を撫でた。突き当りの第二理科室から、生徒たちのささめきが聞こえる。静かに階段を上がる。三階の踊り場の窓。そこから眺める景色が、... 続きをみる
-
「えっ、前にも?」 「冷静になれ、君も見えるはずだ。あの時、千代が能力を与えた・・」 若月は目を閉じ、気持ちを穏やかにする。 「あっ、確かに見えます。前の人からは、鋭さを感じない」 電車が停まった。いつも通り最後に降りる。改札口を抜け駅前に出た。ポツリポツリと雨が落ちて来たので、ふたりは早足で... 続きをみる
-
-
帰路の車中で、用心を怠らないよう若月に話して聞かせた。 「若月よ。恐らく、この一週間に大変な体験をすると思う」 「な、な、なんですか? 大変な体験って?」 「うん、権助やその仲間の邪鬼が襲うかもしれん」 彼はマジに恐怖を感じたらしい。 「え~、本当に襲ってきますかぁ~?」 「ああ、必ず襲ってく... 続きをみる
-
「いや~ぁ、なんと心を魅了する香り!」 「そうでしょう。この香りを知って、私も虜になってしまった」 テーブルの上には、多様な形や大きさの沈香が並べられた。 「これだけ集めるには、苦労されたでしょう」 祖父は嬉しそうに、収集した経緯を事細かに説明した。横で聞いていた若月が立ち上がり、祖父の書棚か... 続きをみる
-
「陛下が皇霊殿の儀式に、特別な伽羅を使いたいと所望された。困った宮廷は苦肉の策に、正倉院の伽羅を密かに削り取ることを考え、私に内命したの。以前、豊臣秀吉も削ったらしいわ。ところが・・」 彼女は、心の底から悔しさと悲しみを露わにした。 「ところが、下級官人の舎人(とねり)の権助が、幕府の役人に密告... 続きをみる
-
千代は話し終えると、私ひとりで来るよう手招きした。 「若月、絶対に境界線内へ足を踏み入れるなよ」 彼は渋々と頷いた。私が千代の傍らへ行くと、千代は私を紹介する。 「この人が、例の大河内晋介さんです」 目の前の端麗な女性から、ただならぬ気品を感じた。私は自然に頭を下げてしまった。 「千代のため... 続きをみる
-
レールの車輪と車両の軋む音が、頭の中にギシギシと響く。 「主任、降りるのは次の駅ですよね」 「うん・・」 私は前を見据えたまま、気のない返事をした。 「まだ現れませんか?」 若月は空いた車両の中を見回す。 「いや、もう居るよ」 「えっ!」 彼は驚いて目を見開き、私にそっと耳打ちする。 「ど... 続きをみる
-
「もう時間がない。今日は、これまでね。沈香(じんこう)の話は、次の金曜日にするわ」 《もう時間が無いって! またかよ~。いいさ、もう慣れっこだぁ》 「ん、ところで沈香って? あっ!」 一瞬の光が私を襲い、目の前が見えなくなった。しばらくして、慣れた目に元の駅前が戻る。心身に疲れを感じた。 次の... 続きをみる