謂れ無き存在 Ⅷ
俺の唇に、微かに触れた真美の唇。触れる寸前に、彼女の芳しい息が俺の鼻をくすぐる。その柔らかな唇と爽やかな息が、真美の初々しい情味を伝え俺を震撼させた。
真美の真情が理解でき、俺は彼女の肩を引き寄せる。
「あ~、・・・」
真美が甘い吐息をつく。俺の感情の箍が緩み、煩悩で真美の唇を吸ってしまった。ふたりは、初めての経験に溺れる。暫し、我を忘れる思いであった。
互いに息が苦しくなり唇を離す。ふたりの瞳は、互いに目の中で彷徨う。真美の瞳が涙に沈むのを見てしまった俺は、ハッと我に返った。
「あっ、ごめん・・」
「えっ? 何が、ごめんなの?」
火照る真美の顔が、怪訝な表情に変わる。
「俺は、真美が好きだよ・・。でも、これは感情からではない。俺の煩悩が求めてしまったからだ」
漠然とした答えに、彼女は突然に笑い出した。
「あっはは・・、フフ・・。面白いわ。ハハ・・」
「何が可笑しいのさ・・。俺が変なことを言ったかな」
「当然よ、何を言い出すかと思ったら、あなたらしい思いやりね。うふふ・・」
俺は憮然とする。
《俺の考えが間違っているのかなぁ。俺は初めての経験だ。真美だって、初めてだろう。俺の初めてのキッスは、星降る夜の海辺か丘でロマンチックにキッスをする。これが俺の夢だ。まだ見ぬ女性も喜ぶだろうと決めていた。だけど、不意に訪れた経験は、愛の感情も湧かずに、性欲的な煩悩でやってしまった。それに、真美を泣かせた》
「いいえ、私は幸せ・・。だって、私が最初に誘ったのよ。不謹慎な女で嫌われると思ったわ。それが・・、凄く情熱的なキッスを経験したもの。私の涙は、うれしい涙よ」
「そうか・・」
「それに、あなたは私の真情を理解してから、私を抱いたわ」
確かに、俺は真美の気持ちを受け入れた。感情も移入でき、彼女の運命的結婚も肯定する考えになりつつある。
「ん~、そうか・・」
「そうよ。やはり、あなたは私と結婚するのよ」
「ん~、結婚か? でもさ、俺の将来が見えない。結婚するからには、生活の安定が必要だよ。今の俺には何もない」
「だから、セミナーの講師を訪ねて、将来のことを聞きましょうよ。私も一緒に行くわ」
何故だか、俺の生き方が変わる様な気がする。今までは、全てにおいて否定的な行動や考えを持っていたからだ。