忘れ水 幾星霜 第二章 Ⅷ
「はい、好きです。故郷の思い出に咲く花ですから」
「そうですか、アジサイの花言葉は【しっかりした愛情】です。ご存知でしたか?」
「えっ、はい? 無情とか心変わりでは? 知りませんでした」
亜紀は信じられない様子で、北島の顔を直視した。
「一般的にはそうですが、アジサイの花弁はガクであって、本当の花は小さく目立たずに咲いている。四片のガクがその小さく咲く花を、しっかり守っている。それで【しっかりとした愛情】の花言葉になったのでしょうね」
彼は瞳を凝らして、亜紀の瞳の中を探る。彼女は心を見透かされた気がして、うろたえ戸惑いを隠した。
「じゃあ、これで失礼します。詳細が決まりまあしたら、ご連絡します」
彼は何もなかった様子で、その場を立ち去る。
「分かりました。お願いします・・」
亜紀は返事をしたものの、素直に挨拶ができない。北島は事務所に顔を見せ、佐和に礼を伝えてから帰った。
午後の休憩時間に、佐和から談話室へ誘われた。亜紀が仕事を一段落させて談話室に行くと、庭に面したテーブルで佐和が待っていた。
「これ、とても冷えて美味しいわよ。はい、どうぞ」
亜紀が席に座るなり、佐和がグラスにレモネードを注ぎ勧める。亜紀が家から手作りクッキーを、テーブルのバスケットに入れた。
「あなたが焼いたの?」
「はい、でも初めてなの。上手に焼けているか心配だわ」
ふたりは指先でクッキーを摘むと、同時に口へ入れる。
「あら、美味しいわ。良く焼けているじゃないの」
「そうね、良かった。この次は、みんなの分まで焼いてくるわ」
佐和が冷えたレモネードを口に含む。
「まぁ~、このレモネードにも合うわよ」
「本当ね。何かのフェスタ(パーティー)に使える」
佐和が、亜紀の目線を捕らえる。亜紀もタイミングを考えていた。
「それで、今なら話せそう?」
応接室で隠せなかった動揺を、亜紀はどう説明をしようか考え倦む。
「ええ、うまく言い表せないけど・・」
「いいのよ、自分が話せることだけでも。誰しも心の中に古い傷を負っているわ。隠したいものは隠せばいい。心の中をさらけ出して穏やかになれるなら、早く済ました方が良い場合もあるわ」
佐和の言葉は、亜紀自身が惨めだと思う負の気持ちを和らげ、冷えた心に暖かい風を亜紀に感じさせた。