忘れ水 幾星霜 第七章 Ⅰ
翌日の朝、昨晩から病室で見守っていた輝明は、奈美と交代して家に帰り仮眠をする。昼過ぎに起き、近くの食堂で昼食を済ませると再び病院に行く。千香の容態を見届けてから、車で成田へ向かった。
午後五時に成田空港へ着いた。輝明は幾度も到着ボードを凝視する。逸る心を抑えているが、到着間近になると心は勝手に躍動した。時折、千香の顔が脳裏を掠める。その度に、彼の心はやるせなく苦しむ。
出口ゲートの前は凄い人だかり、亜紀は人の群れを見渡す。
《到頭、日本に帰って来たわ。夢みたいね。輝君、どこにいるの?》
「マルシア、待ってよ!」
「マルコス、早くして! 出口はこっちよ」
「亜紀さん!」
亜紀は、輝明の声に目を移す。彼の笑顔を見つけた。全身が喜びに満ちる。輝明が両手を広げ迎え入れる仕草に、彼女は腕の中へ飛び込んだ。
「いらっしゃい。いや、お帰りかな?」
「両方よ。あ~、輝君の温もり、素敵だわ」
「マルコス、元気だったかな?」
後ろで戸惑っているマルコスを呼び、右手で亜紀を抱き左手に彼をハグした。
「パパィ、来たよ。会いに来たよ」
「うん、うん、良く来たね・・」
《本来なら、千香ちゃんが喜んで迎えるのに・・》
輝明は声を詰まらせる。亜紀は彼の心意を察し、輝明の胸に顔を埋めた。
「亜紀さん、ごめん。この出迎えに千香ちゃんが・・。残念だ」
「それで、千香の容態は?」
「うん、危ない状況なんだ」
空港の駐車場に向かうが、外の寒さにふたりは身を縮める。防寒着を用意していたので、直ぐに着させた。
「マルコス、大丈夫か?」
「佐和さんから、日本は寒いよって聞かされたけど、本当に寒いね」
輝明は、缶コーヒーと菓子パンを亜紀とマルコスに手渡した。
「途中で食事をするから、とりあえずこれを食べてね」
「ええ、分かったわ」
東関道から首都高速に入ると込み始めた。初めて見る日本の風景に、マルコスは心が奪われ車窓から目が離せない様子。
《輝君の顔が、すっかり痩せて弱々しく見える。千香のことが心配なのね。》
ハンドルを握る彼の腕にそっと触れる。
《私にできることは・・。あ~ぁ、可哀そうな輝君》
そっと触れる腕に力を込めた。輝明は、横目でチラッと亜紀を見る。
《オレの心が崩れそう。でも、亜紀さんの温もりが、必ずオレの心を助けてくれる》