ふたりはぴたりと寄り添う形になった。亜紀は驚くも素直に腕を伸ばし、両脇から背中へと手を回す。輝明の体がピクンと反応する。彼は大きく息を吸い込み、亜紀の純白なブラウスの肩に手を置く。そして、引き寄せた。 「ようやく、あなたに会えた喜びを、心と体で実感できた」 小声で亜紀に呟く。亜紀は、その言葉に刺激され、輝明の胸に頬を寄せる。薄地のポロシャツを通して、甘い爽やかな大人のオーデコロンの香りが亜紀…
「亜紀、私たちブラジルに来ちゃったわ。あなたに会いに。やっと会えたね?」 「ええ、でも・・。どうして私なんかを探したの?」 「それはね、後でゆっくり話しましょう。あれ、輝君は?」 千香は亜紀の手を離さずに、後ろを振り向く。 「ボクは、ここにいるよ」 「ほら、亜紀よ! 本当に亜紀よ。自分で確かめなさい」 千香は、亜紀の手を引き寄せ、輝明の前に彼女を押し出した。 《ま、待ってよ。千香ちゃん、心構…
そこは、ひとつの出口ゲート。多くの視線が熱く注がれる場所であった。 「ボン・ヂーア! 亜紀さん、飛行機は無事に着陸しましたよ」 先に来て待っていた北島が、笑顔で声を掛けてきた。 「あ、おはようございます。職員のマルコスよ」 初対面のふたりは、にこやかに握手を交わした。同時にゲートの人だかりから歓声が上がった。その様子に、北島は急ぎ通訳を連れて出口ゲートへ向かった。 平静を保っていた亜紀の…
機内アナウンスが流れ、一時間ほどで国際空港に到着することを伝えた。現在のブラジル時間、天気、気温などが慌ただしくアナウンスされる。 「輝坊ちゃん、朝食を残さないで、ちゃんと食べてね」 「うん、食べているよ。だけど、体を動かしていないから、お腹が空かないんだ。千香ちゃんは、あまり食べていないけど、大丈夫かい?」 「私はジュースとパンで充分よ。それより、気温が心配よ。冬から夏でしょう」 「そうだね…
「佐和さん、私にはふたりに正面から会うことができない。ふたりを裏切ってしまったから・・」 佐和は、テーブル越しに亜紀の両手を握りしめる。 「そんなことはない! あなたを探して、ブラジルまで来るつもりなのよ。必ず理由があるはず。逃げるなんて、だめ! しっかり会うことよ」 握り締められた亜紀の手に、佐和の強い信念が伝わる。 「ありがとう、佐和さん」 「・・・」 「でもね、ふたりは出航の日に横浜港…
「実は、とうに消え去った青春の面影が、不意に現れたことなの。それも三十年も経ってからよ。ブラジルに来て不慣れな環境での生活が、私の時間と小さな夢まで奪い、すべてを消してしまったはずなのに・・」 佐和は亜紀の話を聞きながら、冷えたレモネードを亜紀の飲みかけのグラスに注ぐ。 「輝君・・、あっ、ごめんなさい。彼の名前なの・・」 亜紀は佐和に目礼をしてから、注がれた冷たいレモネードを口に含み話を続け…
「はい、好きです。故郷の思い出に咲く花ですから」 「そうですか、アジサイの花言葉は【しっかりした愛情】です。ご存知でしたか?」 「えっ、はい? 無情とか心変わりでは? 知りませんでした」 亜紀は信じられない様子で、北島の顔を直視した。 「一般的にはそうですが、アジサイの花弁はガクであって、本当の花は小さく目立たずに咲いている。四片のガクがその小さく咲く花を、しっかり守っている。それで【しっかり…
「ご主人と一緒に来られるのね?」 「橋本教授は既に亡くなっており、奥様のいとこの方と来られるようです。奥様はご病気で、恐らく一人旅が困難だから同伴をお願いしたのでしょう」 《えっ、嘘でしょう。輝君が一緒なの?》 「は~ぁ、そうですか・・」 亜紀のショックを隠せない様子に、佐和が彼女の背中を手のひらで優しく摩る。亜紀は佐和の心遣いに軽く頷く。 「ご心配なく、後で説明しますから・・」 佐和は理解…
「横山さん、明日の午前中に、そちらへお伺いしますが宜しいでしょうか?」 「あっ、はい。ど、どうぞ、お待ちしています」 近くで電話の様子を見ていた佐和とマルコスが、亜紀の変化に気付く。受話器を置きテーブルに戻ってきた彼女へ、二人同時に声を掛けた。 「亜紀さん!」 「マルシア!」 亜紀は驚き、ふたりの顔を見比べる。そして、三人は同時に大笑い。 「ど、どうぞ。アハハ・・、佐和さん、ウフフフ・・」 …