サントスまでは、一千メートルの海岸山脈をトンネルと橋で一気に下る。新イミグランテス(移民)街道は、片道二車線でカーブも少なく快適だ。サンパウロから一時間ほどでサントス港に着いた。海岸道路を抜けて、ホテルやマンションが並ぶグウァルジャーの浜辺にやってきた。 北島の通訳セルジオが、見晴らしの良い小さな岬へ案内する。潮風が心地よく、海岸山脈の映える新緑と大西洋の眩い紺青の海が、絶妙なコントラスト。…
「北島さん、良く調べましたね」 「この一年間、ブラジル国内を飛び回っていますから、色々な料理を食べましたよ。ピラニアのフライやワニ料理も食べました」 「えっ、それは凄いですね」 横で聞いている千香が退屈そうな様子。それを見とめた亜紀が、声を掛ける。 「千香、フルーツなら食べられる?」 「ん・・、そうね。食べてみようかな」 「じゃあ、待ってね。直ぐ持って来るから」 亜紀はバイキング形式のデザー…
マルコスが早めに到着。北島、通訳のセルジオ、佐和と事務員のテレーザ。それに、群馬県人会の高山事務長。全員が揃ったところで、輝明は千香を支えて立ち上がる。 「突然に訪問した私たちのために、温かく迎えていただき感謝申し上げます。長い間、探し続けていた亜紀さんに会えることができました。幸せに過ごしていたことを、確認でき安心しました。それは、憩いの園の皆さんのお陰と思っています。 また、今日、特別に…
「それで、亜紀は一緒に日本へ帰るのね」 亜紀は千香をソファに座らせ、自身も横に座り千香の手を握る。 「千香ね、私は日本に帰らない」 「どうして? それじゃ、なぜ輝坊ちゃんと結婚したの? 意味が分からないわ」 輝明も、千香の前に腰掛け説明しようとした。 「そ、そ・・」 「待って! 輝君。これは私の考えなの。だから、私が千香に話すわ」 「うん、分かった」 千香は呆然とふたりの顔を順次に見比べる…
「一緒に生活できなくても、あなたがこのブラジルに生きている。それだけでも、ボクは幸せを感じ生きて行けます。ボクの意味する結婚は・・、せめて、愛する人が指輪を身に着け、常に存在を意識できると考えたからです」 亜紀は、彼の顔を直視した。輝明の言葉の意味を理解し、感情を押さえていた心が弾ける。 「輝君、ありがとう。決心したわ。あなたの優しい気持ちを受け入れる」 ふたりの瞳は絡み、聖壇のキリスト像の…
「わぁ~、中は広いのね。長椅子が数えきれない。それに、ドームの天井に描かれた絵が見事ね~ぇ。ほら、見て輝君。あのステンド・グラスから差し込む夕日の・・。言葉が出ないわ」 「そう、なんと表現したらいいんだろう。哲学的、詩的な言葉にしか置き換えられない」 「私なんて、無理よ。詩的音痴だから・・」 輝明がこの瞬間だと思い。亜紀の手を取って、聖壇の前に誘う。亜紀が聖壇の上にあるキリスト像を仰ぎ見る。 …
恐る恐る輝明に近づく。 「千香は?」 「うん、部屋で少し休ませている。・・・、亜紀さん、夕食まで余裕があるので、ふたりだけで話しをしたい・・」 《この胸騒ぎは、なんだろう・・か》 亜紀は頷き、輝明が示すソファに座る。 「明後日の晩に、日本へ帰る予定です」 「えっ、明後日?」 《なんだ。もっと深刻な話かと思ったわ。バカな私ね》 「はい、北島さんに航空会社へ連絡して予約をお願いしました」 「そう…
そこへ、千香のために車椅子を押すマルコスが顔を出した。千香はマルコスの顔を見ると、満面に笑みを浮かべる。 亜紀と佐和が、施設内をゆっくり案内する。庭を見渡せる廊下へ差し掛かると、千香が車椅子から乗り出すように前方を見た。 「マルコスさん、ちょっと止めて! 綺麗なアジサイが咲いているわ。亜紀! あなたの好きな花でしょう?」 亜紀は千香の近くに寄り添い、千香の目線に合わせて、その場にしゃがむ。…
「だって、アモール(恋愛)中だからだよ」 「ま、ま、また~、そんなことを言う」 亜紀は、チラッと輝明の顔を盗み見し、顔を火照らせ隣のマルコスの背中を叩いた。 「アモールに乾杯!」 北島が面白がり祝杯を挙げると、キョトンとしていた千香も意味を理解し、ジュースで乾杯した。 「ところで、マルコスさんは学生さんでしょう。専門は? それに日本語が上手ね」 「専門は法科です。弁護士を目指しているよ」 「…
「待って! この話は・・、今は、答えられないわ」 「承知の上です。亜紀さんに負担を掛けるつもりはありません。良く考えてからで、結構です。これは、飽くまで・・、ボクの願望ですから・・」 「いいえ、輝坊ちゃんだけでなく、私の願いでもあるわ」 千香の訴える眼差しは、亜紀の心組みを撃破する。 「はぁ~ぁ・・」 亜紀は、その場に崩れ落ちる。 《ごめんなさい。こんなに苦しむ亜紀さんの姿を、想像していなか…