「マルコス、私の名前は千香よ。チア、ではないの」 「ああ、それは、ブラジル語で親しい年配の女性や幼稚園、小学校の先生をチアと呼ぶのよ。千香・・」 「あら、まぁ~、そうなの。ごめんね、マルコス!」 千香はマルコスを呼び、抱きしめる。彼は、千香の頬に軽いキッスを返した。 食事の後、長女の奈美から頼まれているアクアマリンのペンダントを、千香が購入したいと要望した。輝明は、群馬県人会の小林会長が経営…
翌日の朝、輝明が目を覚ますと、亜紀が新しいワンピース姿で千香の世話をしていた。 《やはり、似合うな。綺麗だ》 「おはよう、輝君。さあ、朝食に行くわよ」 少し恥じらう様子で、爽やかに挨拶する亜紀。輝明は、一瞬戸惑うが返事を返した。 「やあ、おはよう」 「亜紀、いいのよ。お寝坊さんはそのままで、先に行きましょう」 「分かったよう。直ぐに行くから・・」 輝明は大急ぎで洗面し着替えると、レストラン…
「輝君、ありがとう。千香、悲しいことを言わないで。必ず、会いに行くわ」 千香がゆっくりと立ち上がり、部屋に行き封筒を持って来る。封筒を亜紀に手渡した。亜紀は、手にした重い封筒を見詰め、体を固くし微動だしない。 「誤解しないで、あなたの心を踏みにじり、卑しめるつもりはないわ。このお金は輝坊ちゃんの結婚費用に蓄えたものよ。お願い信じて・・」 「亜紀さんが、病気などで困ったときボクは何も手立てがない…
「うん、マルシアは見たとおりに、派手じゃない。貰えるお金は少ないけど、不平を聞いたことがない」 「そうか、分かった。オブリガード。千香ちゃん、相談したいことがある」 「輝坊ちゃんの言いたいことは、十分に理解しているわ」 亜紀が自分の買い物を済ませ戻ってきた。頼んであった服を受け取ると、ホテルに引き返す。ホテルには、北島が待っていた。 「お帰りなさい。どちらへ行かれたのですか?」 「あ~、北島さ…
「亜紀、早く試着して、見せてよ」 彼女はおどおどと試着室に入り、怖々と着替えた。姿見の自分に心が奪われる。 《まあ、なんて華やかな色、ワン・ポイントの白い花びらが素敵ね。この色は、あれ以来ね。輝君、覚えているかしら》 恐る恐る試着室から出る。 「マルシア、ボニータ(綺麗)だ。誰かと思ったよ」 「やはり、亜紀にぴったりね」 輝明は、遠いあの日の服装を思い出した。 《水沢山のハイクの朝、オレが…
「亜紀、紅茶はどうしたの? 冷めちゃうわよ」 ふたりは我に返り、サッと離れる。 「い、今・・、できたから、ちょっと待ってね」 輝明が、先に千香と自分のカップを運ぶ。亜紀は二回ほど深呼吸をしてから、知らぬ素振りで千香の横に座る。 「あら、亜紀の顔に涙の跡があるわ。輝坊ちゃん! 女性を泣かせたら、丁寧に拭いてあげるの。それが男性の役目なのよ」 《やはり、千香ちゃんにはオレの行動が見破られる。どう…
千香は、理解していた。しかし、輝明と亜紀の貴重な時間を、奪い取ってしまう自分が許せなかったのだ。 「亜紀、ごめんね。私が元気なら、一ヶ月でも半年でもいられたのに、残念だわ」 「ううん、私のことより、千香の体の方が大切よ。この数日は、決して短い時間ではなかった。一秒一秒が、とても長く幸せを感じることができたもの。それを、あなたが与えてくれたわ」 「亜紀、今日は帰らないで、お願いよ。ねっ、輝坊ちゃ…
亜紀は、千香の言葉を信じられないと、マジに彼女の目を覗いた。 「まっ、本当にそう思っているの? 千香!」 千香の顔が歪み、笑い出した。 「うふふ・・、ウソよ!」 「アハハ・・、あ~、驚いた!」 ふたりは仰け反り、手を叩き大笑い。そして、テーブルの上のカステラを食べ、ガラナを飲んだ。千香の顔が、スーッと真顔になる。 「亜紀、輝君との歳の差は無くなったわね。最後まで、大事にしてあげてね。天国に…
「ん、何を? どんなこと?」 「おば・・、輝坊ちゃんのお母さんが亡くなるとき、私が傍にいたの。あの子が不憫だから、仲の良い私に面倒を見てねって頼んだわ。私は簡単に、いいよって答えた。だって、輝坊ちゃんが大好きだったから・・。 伯母さんは、輝坊ちゃんが生まれてから、入退院を繰り返しまともに育てる時間が無かった。輝坊ちゃんも母親に抱かれたり甘えたりした記憶が少ないはず。保育園の母子ダンスは、いつも…
「もう帰るの? このまま、この清々しい海の空気を吸いながら、穏やかに眠りたい」 《千香ちゃんの気力が、弱々しくなっているなぁ。やはり、早めに日本へ帰ろう》 「うん、ゆっくりさせてあげたいけど、さあ、ホテルへ帰ろうね。千香ちゃん・・」 北島も心配して、輝明の顔を見る。 「北島さん、明日の便の再確認をお願いします。それに、これから援護協会の医師に診察をお願いして、明日の帰国便に乗れる状態なのか聞き…