私はベッドから起き上がらず、そのまま横になり夢の中の状況を考えた。 《やはり現れた。ただ、場所が違う。それに和服姿ではなかった。どういうことだ。このまま毎晩、彼女と会うのだろうか》 幾人かの知り合いに相談する。 「そんなの夢占いで調べてもらえば・・」 「お祓いした方がいいんじゃないの」 「誰かがあなたに恋をしていたけど、何かの理由で亡くなった。でも、諦められずに夢の中に現れる。ドラマチックね…
日常で見る夢は、自分本位の希望や憧れなどの空想に過ぎない。儚く散ることが多々あるも、自分の意志によって実現する可能性も否定できない。 眠りの中で見る夢は、決して自由にはならない。意外な展開に現実の感覚が痺れ、あらゆる感情をその世界へ誘惑する。ただ、必ずしも結尾に至るとは限らない。目覚めて安堵するか、苦悩や後悔に陥るかは人それぞれだ。 この数日、奇妙なことに同じ内容の夢を見ている。 突如、…
映写会は雨のために延期になってしまった。しかたなく、本部で見ることになる。フイルムの音だけが聞こえ、全員がボーッと画面を見詰める。 「どうして、喋らないんだ」 勇ちゃんが、オレ達に言った。映写会ではアドリブでやるはずだったが、四人は延期になったために気持ちが落ち込んでしまった。 「うん、最初からやるよ」 敏ちゃんが、ぼそぼそとオレ達に言ったので準備した。貴ちゃんがフイルムを巻き戻し、最初か…
寒い季節も終わりに近づき、春めく日曜日の朝。 「これから渋川に行くけど、一緒にどうだ?」 当直明けの病院から戻ると、妻を誘った。私が突然に言い出したので、八重子は戸惑いを見せた。その様子に笑いを堪える。おそらく行くのを拒むだろう。 「どうしたの急に? だめよ、子供たちが遊びに来るのよ」 「じゃあ、独りで行ってくるから・・」 「どうぞ、お好きなように」 私の行動を理解しているのではなく、三十…
穏やかな元旦の朝を迎えた。全日本実業団駅伝の報道用ヘリコプターのプロペラが、澄みきった空気を切り裂き忙しなく飛んでいる。私は妻の八重子と初詣に高崎観音へ出かけた。ブラジルから帰国して二十五年になるが、高崎観音に毎年欠かさずに参詣している。時折、八重子が他の寺社へ誘うこともあるが、私は頑なに譲らない。 その訳は、父と最後に会話をした高崎駅のプラット・ホームにある。発車を知らせるけたたましいベル…
これは小説ではありません。突然に疑問が湧き書きたくなった。これも? この世の中は疑問だらけだ。暑ければ? 寒ければ? 雨が降らなければ? 降れば? 生きることも、死ぬことも? 疑問は不思議な感情だ。その感情を持つ人間は不思議な生き物だ。人間ってなんだ? 考える葦? 本当か? 信じられん。腹が空けば死ぬ? 食べ過ぎても死ぬ? 訳の分からぬことを言う? タバコは間接的に命の危険だと言ってCM…
クリスマスのイルミネーションが町の至る場所に飾られ、彩りの風景が行き交う人々の心を楽しませる。病院でも各階のナース・センター前に、小さなツリーが置かれ患者の目を和ませた。 巡回の折、いつも気にかけている佐藤の様子をナース・センターの画面から眺めている。白く冷たい壁に囲まれ何もない天井を見つめる佐藤の姿。担当の看護師の話では、緊急入院の三日後にアルコールが抜けて穏やかな表情になったという。意識…
半世紀前の記憶を辿るのは簡単ではなかった。それも六十数年のたった一年間だけだ。ジグソーパズル全体のイメージは浮かぶのに、肝心な幾つかのピースが脳裏のどこにも見当たらない。大切な記憶のピースを当て嵌めることができず、思い出は蝕まれおぼろげにしか現れなかった。 一町ほどの通りを北に歩きながら、あちらこちらの面影を突きはむ。時折、面影のピースがポロリと現れるが、当て嵌める箇所が思いつかない。オコち…
白い雪に覆われた浅間山が陽に輝くほど良い天候であったが、澄んだ秋の空気に冬の冷気が流れ込む夕刻から、冷たい雨模様に変わった。雨は次第に強くなる。 夜十時過ぎに、救急隊から受け入れ要請の電話が入った。 「はい、F病院ですが」 「中央救急の狭山です。三十代の男性が側溝の中に転倒。呼びかけに反応が無い状態です。受け入れできますか?」 私は、当直の藤田先生に報告して受け入れの確認をとる。 「はい、…
肌寒の雨模様の静かな夜。 市内の北部環状線に近い病院の待合ロビー。柱の時計が弱々しく九時を告げた。時間を持て余していた数人の患者が、ため息をつきながらゆっくりと病室に戻って行く。 事務所内にいた私は、パソコンの画面から目を離すとしばらく目を閉じた。両手で額を数回摩り、独り言を呟く。 「時計の電池を交換した方がよさそうだな・・。さて、見回りに行くかな」 息をフッと吐き、席を立った。 受付…