ア・ブルー・ティアーズ (蒼き雫) 完
寒い季節も終わりに近づき、春めく日曜日の朝。
「これから渋川に行くけど、一緒にどうだ?」
当直明けの病院から戻ると、妻を誘った。私が突然に言い出したので、八重子は戸惑いを見せた。その様子に笑いを堪える。おそらく行くのを拒むだろう。
「どうしたの急に? だめよ、子供たちが遊びに来るのよ」
「じゃあ、独りで行ってくるから・・」
「どうぞ、お好きなように」
私の行動を理解しているのではなく、三十五年も連れ添う亭主より五人の孫を最優先と考えているからだ。
渋川市半田の龍傳寺に行く。
この時期の墓地は、人の姿が全く見当たらない。横山家の墓は敷地の中ほどにある。墓地内の曲がりくねった道を無意識に歩く。名前も知らない鳥が、所々の墓石の上に翼を休めていた。まるでセラードのアリ塚の上で翼を休める鳥の様に。
秋の彼岸以来の墓。一昨年前に亡くなった兄もここにいる。
「オヤジ、おふくろ。それに兄貴。ご無沙汰」
用意していた線香を焚く。煙と香りが漂う。ポケットからタバコを取り出し火を付けた。
「ハイ、オヤジと兄貴の好きなタバコだよ」
線香置きの隅に、そっと置く。
「おふくろ、煙くってゴメン」
一度、手を合わせてから、もう一本取り出し自分も吸った。フーッと吐き出した煙が、父と兄の煙と線香の煙に混ざり合い空へ流れていった。
「オヤジさん、オヤジさんの背中はいつも丸かったね。越えることできない大きな背中でもない。強烈なライバルでもない。学校の父兄会には兄貴が代わりに来ていた。相談事はいつも兄貴だった。でも、オヤジの温もりは感じていたよ。あの別れの時に見た青い涙は、二十数年間の親の感情を現したものだね。とても不思議な温もりを感じた。本当に不思議な存在だったね、オヤジさんは!」
私は、関川君の言葉を思い出した。
「こうして、生きていることに感謝しなければ・・。今日はこれを言いに来たんだ。もちろんおふくろや兄貴にもね」
立ち上がり背筋を伸ばす。墓地内を吹く風が、山からの冷たい風と春先の風がぶつかり合う。その風に驚いた墓石の鳥が、私の心のわだかまりを掴み大空へ羽ばたき去った。
墓前に再度手を合わせ、墓地を後にした。