ウイルソン金井の創作小説

フィクション、ノンフィクション創作小説。主に短編。恋愛、オカルトなど

創作小説を紹介
 偽りの恋 愛を捨て、夢を選ぶが・・。
 謂れ無き存在 運命の人。出会いと確信。
 嫌われしもの 遥かな旅 99%の人間から嫌われる生き物。笑い、涙、ロマンス、親子の絆。
 漂泊の慕情 思いがけない別れの言葉。
 忘れ水 幾星霜  山野の忘れ水のように、密かに流れ着ける愛を求めて・・。
 青き残月(老少不定) ゆうあい教室の広汎性発達障害の浩ちゃん。 
 浸潤の香気 大河内晋介シリーズ第三弾。行きずりの女性。不思議な香りが漂う彼女は? 
 冥府の約束 大河内晋介シリーズ第二弾。日本海の砂浜で知り合った若き女性。初秋の一週間だけの命。
 雨宿り 大河内晋介シリーズ。夢に現れる和服姿の美しい女性。
 ア・ブルー・ティアズ(蒼き雫)夜間の救急病院、生と死のドラマ。

ア・ブルー・ティアズ (蒼き雫) Ⅰ

 肌寒の雨模様の静かな夜。
 市内の北部環状線に近い病院の待合ロビー。柱の時計が弱々しく九時を告げた。時間を持て余していた数人の患者が、ため息をつきながらゆっくりと病室に戻って行く。
 事務所内にいた私は、パソコンの画面から目を離すとしばらく目を閉じた。両手で額を数回摩り、独り言を呟く。
「時計の電池を交換した方がよさそうだな・・。さて、見回りに行くかな」
 息をフッと吐き、席を立った。
 受付窓口の戸を中から閉め、ロビーの照明を半分消す。院内専用の微弱携帯電話を首に掛け、事務所を閉めると巡回に出た。各階の戸締りや非常口を確認する。
 六階の確認を終え階下へ移ろうとしたとき、廊下中ほどの重症患者用病室のドアが半開きに気付く。自然と中に目がいった。医療ベットではなく床に置かれたマット上に、ひとりの患者が横たわっている。
《確か、倉渕の関川さん。どうして、床のマットに寝かされているんだろう?》
 私は不思議に思い、首を傾げた。
 患者の関川直哉とは、五年前より入退院を繰り返し顔を合わせれば世間話をよくしていた。穏やかな人当たりの良い印象を持っている。彼は直腸癌を摘出したが、肺と肝臓に転移したと聞いていた。今回は、昨日の昼頃に救急車で搬送されたという。部屋の照明はほの暗い電灯に替えられ、ひとり静かに眠っている。
 巡回から戻った私は、事務所内の当直室で好きな紅茶を飲みテレビのスイッチを入れた。明るくなった画面に、ブラジル中央部の原野が映し出される。遥か遠くまで青く澄みわたる空の下、セラード地帯(降水量の少ない熱帯原野)特有の厳しい暑さに拗け曲がった木々、それを覆い隠すローム層の赤土で作られた大小の塔が立ち並ぶ光景であった。
 その景色は、私の遠い記憶の中に根強く残っている不思議な世界であった。一面に広がる奇妙な赤土の塔は、シロアリの棲み処である。赤土で覆い乾燥から身を守るシロアリ、シロアリを唯一の食糧にするアリクイ。いじけて捻じ曲がった木々を避けて、赤土の塔の上に翼を休める鳥たち。それは過酷な自然環境で生きる姿である。私がかって訪れた広大な農地は、原野を開墾して雄大な農牧地に変貌。赤土の塔や曲がった木々は見当たらない。人間がクレパスで描いたルールのない自然の姿であった。
 視線をテレビ画面に置き、手元の紅茶を一口ゴクリと飲み込んだ。喉越しにほのかな温もりを感じ記憶の余韻に浸っていると、唐突に胸ポケットの院内用携帯が鳴り、危なく紅茶をこぼすところであった。
「あっ、はい、横山です。なんでしょうか?」
「西川だけど・・、関川さんの容体がよくないの。家族を呼んだから、来たら中に入れてね」
 六階の西川看護主任からであった。
「はい、分かりました。倉渕からですね」
 夜十時になると玄関をロックして、外から自由に入れないシステムになっていた。
 十一時近くになって、奥さんと二人の子供が駆けつけてきた。夜間通用口を開けて中に通す。奥さんとは顔見知りのため軽く会釈を交わしたが、二人の子供は初めてであった。長男は、しっかりとした眼差しの青年。もう一人は母親似の女子高生。三人は急ぎ足でエレベーターに乗った。
 私の勤務は一日おきである。翌々日、いつもの九時に巡回へ出かけた。六階の関川さんの病室前を通り過ぎるが、半開きの戸からあの青年の姿が見え、マットがもう一つ並んで置かれていた。ふたりの手が固く握られ、青年がひたむきに話しかけている。
 その様子に、私の心臓が乱暴な手でギュッと掴まれ痛んだ。私はその場から逃げるように離れた。巡回から事務所に戻る間、父の顔を思い浮かべ考えてしまった。
《父と子が最後に話す言葉は、なんであろうか?》
 四十年前、二十三歳の私はひとりでブラジルへ渡った。日本を発つ時、父は高崎駅まで見送りに付き添ってきた。当時、新幹線はまだ走っていない。のんびりしたホームであった。
「死ぬまで、お前と一緒に暮らしたかったな」
 七十近い年齢の父が、ホームで待つ間にポツリと言った。聞こえない振りをしていたが、四十年過ぎた今でも耳の奥深く残っている。明治生まれの父にしてみれば、地球の反対側のブラジルは遥か遠い国であったはずだ。歳を重ねてから授かった息子の旅立ちは、無情な仕打ちと感じたことであろう。その父は、私がブラジルに住んでいる時に亡くなった。今では、その心の内を知ることはできない。
 秋が深まり、街路樹や家々の木の葉が其々の色に染まる。高く澄みきった空には、白くすじ状の絹雲が見える。
 そろそろ厚手の上着が必要かなと思える夜。関川青年がお腹の大きい女性を伴って病院に現れた。ふたりの手には、紅葉の小枝があった。
「こんばんは、お父さんの容体はいかがですか?」
 受付けカウンターから前に出て挨拶した。そして、鮮やかな色の紅葉に目をやった。
「こんばんは、いつもお世話になります。父は、今のところ落ち着いているようです。これは倉渕から中之条に向かう草津街道沿いのものです」
「見事な色ですね」
「父はこの時期になると、辺り一面が鮮やかに染まる景色を、楽しみにしていました。今年は無理なようですね。だから、葉の色づき具合だけでも見せて・・、」
 青年は言葉を詰まらせる。
「お父さんが、喜ぶでしょうよ」
 私は、その葉を眺め、顔をほころばせる関川の様子を思い浮かべた。だが、なんの反応もなくマットに横たわる関川の顔を、私だけでなく関川青年も心寂しく感じているに違いない。
「こちらは、奥さんですか」
「ええ、そうです。来月が出産予定です」
 関川青年は答え、彼女に笑顔を向けた。彼女は恥ずかしそうにコクリと会釈した。ふたりは軽く頭を下げると、病室へ向かった。私はふたりの後姿をエレベーターに乗り込むまで見続けた。
《関川さんは、初めての孫を楽しみに待っていたんだろうなぁ。せめて、孫の顔を見られたらいいのに・・》
 私には、五人の孫がいる。妻の八重子は十分に楽しんでいるようだ。
「この子たちは初々しい若葉。私たちは散る前の紅葉よ。育てる苦労は息子や娘に任せ、成長の姿をゆっくりと楽しむわ。時折、高い鑑賞料を請求されるけどね」

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