偽りの恋 ⅣⅩⅢ
助手席に座ったまま降りずにいた。フロントガラス越しに前方の景色を見ていると、千恵がバスの前を通り過ぎる。パッと振り返り、俺を見た。鼻の先を右手の人差し指で、三回ほどチョンチョンと下から上へ弾く。新鮮で可愛い仕草だ。
「何しているの? 早く降りなさいよ」
聞こえないが、そのように口が話し掛けていた。
「ああ、今から降りるところだ」
聞こえないと思うが、頷いて答える。バスから降りると、直ぐに近寄って来た。
「あまり、楽しんでいなかったけど、どうして?」
「いや、それなりに気晴らしができたよ」
疑うように、俺の顔を覗きこんだ。
「うそ、うそよ! 朝からずっと見ていたもん。ニコリともしない、不機嫌な顔だった」
「これが、俺の普段の顔さ・・」
千恵は、大きく溜め息を吐く。
「じゃあ、楽しい時の顔は?」
「あはは・・、また、難しい質問だ。ハハ・・」
急に目を見開き、千恵の顔がパッと明るくなった。
「あっ、この顔ね。ふ~ん、優しい顔になるんだ」
「千恵ちゃんには、降参だ」
「さあ、今日のパートナーは竹沢さんだ。傍に居てやりな・・」
千恵が恨めしそうに、俺を見つめる。俺の心臓が大きく鳴り響く。
「ねっ、今度二人だけでデートしない?」
「う~ん、困ったね。今は答えられない」
俺を見つめる目が、涙で潤んでいる。女性の涙に俺は弱い。
完全に俺のセンチメントは支配され、彼女が求める答えを言ってしまった。
「分かった。近い内に連絡するよ。だから、泣くなよ」
「うん、約束だよ・・。待っているからね」
こっそり手を振り、にこやかな笑顔に戻った。
「ああ、分かった・・」
素早くきびすを返し、仲間の所へ行ってしまった。
前頭葉の組織が、千恵に洗脳されて行く感覚だ。俺はショックを受ける。
《どうするんだよ。佐藤さんに知れたら・・、考えるだけでも恐ろしい》