謂れ無き存在 ⅤⅩⅠ
狭い墓地内の中ほどに、その墓石が建てられていた。
《そうか・・。母さんは、ここに納められているんだ。やっと会えたね》
だが、記憶に残る僅かな温もりを、もう確かめることができない。その記憶が逃げないように、線香を持たない右手の拳を固く握りしめた。
その様子を察した真美が、握りしめる拳を両手で覆う。真美の手のひらは、俺の拳を慰めた。
《ありがとう、真美。大丈夫だから・・》
「そう、良かったね。その記憶は、決して忘れないで・・」
「ああ、忘れないよ」
線香に火を点け、交互に墓前の線香置場へ添え置いた。三人は静かに黙とうを行なう。近くの墓石に二羽の小鳥が翼を休ませ、こちらを見ながら頻りに鳴き続ける。
「佳代、洸輝君が来たね・・」
母の名前を初めて聞き、俺は驚く。
「えっ? 母さんの名前は、佳代・・ですか?」
「ええ、そうよ。知らなかったの?」
「知りませんでした。施設の人も教えてくれなかった」
母の名に、感情は高ぶることなく冷静であった。
「学生時代は、亜沙子、佳代、明恵って呼んでいたわ」
「あれ、ママの名前はミリアンだけど、いつミリアンになったの?」
「確か、結婚する前に考えたらしいわ。その時は大笑いよ・・」
「え~、そうなんだ。私、知らなかった」
「じゃぁ、真美には英語名が有るの?」
「え~とね、お母さんはどんな名前がいいと思う?」
真美がなかなか教えない。
「メッチェン・・」
俺が明恵母さんに囁いた。
「えっ、なんて・・?」
真美は信じられない顔で、俺の顔を見る。
「あ~、どうして喋ったのよ。もう、洸輝ったら、許さないから・・」
明恵母さんは、ふたりの様子を愉快そうに眺めた。
「真美の名前は、メッチェンです。ドイツ語で、乙女と言う意味だそうです」
「あら、そうなの。まあ~、可愛らしい名前ね。メッチェン、真美にぴったりだわ」
明恵母さんの言葉に、真美は喜び笑顔を見せた。
「良かったね、メッチェン・・」
俺の言葉に笑顔は消え、矢庭に頬を膨らませしかめっ面。
《やばい、また機嫌を損ねさせた。でもなぁ、この顔は好きだ。》