謂れ無き存在 ⅣⅩⅨ
明恵母さんは、前屈みになり両肘をテーブルに置く。こめかみを両手の親指で軽く摩る仕草。おそらく、昔を懐かしむ思い出ではない記憶を、無理やりに心底から引きずり出すのであろう。
両肘の間から、苦渋に満ちた声が聞こえてきた。俺と真美は、耳をそばだてる。
「新潟の角田岬灯台の近く・・だった。圧倒的に迫りくる絶景は・・、あなたのお母さんが選ぶだけあって・・、素晴らしい大自然に囲まれた場所だったわ」
「そうですか・・」
「あんな素晴らしい場所を、彼女は選んだ。でもね・・、私は嫌よ。だって・・、冬の間は日本海の厳しい海岸に変貌するもの。誰も訪ねてくれないと思う。私だったら、悲しく寂しい気持ちになるわ」
「そうね、私も寂しいのは嫌いよ。分かった、洸輝?」
「ああ、同感だ」
明恵母さんは、海岸に打ち上げられた遺体を見ている。だが、そのことには触れない。
「荼毘に付された後、引き取りを探した。けれど・・、親戚は嫌がり、誰も・・受け入れてくれなかった。本当に、辛かったわ」
母さんは、死の間際まで頼る場を求めていた。だが、最後に選んだ過酷な道も、受け入れてもらえなかった。
《あ~、母さん・・。今までは、俺も受け入れようとしなかった。苦しいよ・・》
真美が俺の肩を抱きしめる。
《俺には、愛しい真美がいる。この喜びを感じてもらいたい。母さん、ごめん・・》
「でもね、洸輝君。私の主人があなたのお母さんを受け入れてくれたわ」
「ありがとうございます。ご恩は、一生忘れません」
「いいえ、いいの。主人は、あなたがこの家に来ることを、あなたのお母さんから知らされたのよ」
俺だけでなく、真美も驚いた様子。
「え、いつですか?」
「お母さんのお骨を、お墓に納めるときに・・」
信じられなかった俺は、明恵母さんと真美の顔を見る。
「まさか・・? そんなことは無いでしょう」
「これは、本当の話よ。現に、あなたはここにいるわ」