謂れ無き存在 ⅢⅩ
「何を騒いでいるの?」
「洸輝がお母さんって、呼べないらしいの。お母さんは、なんて呼ばれたい?」
「え~、そうね。明恵さんでもいいわ」
真美の瞳が輝く。俺は嫌な予感がした。
「それなら、明恵母さんと呼んだら・・、どうかしら?」
「まあ! 真美らしい発想ね。私は、それでいいわよ」
「それで決まりね。洸輝、そうしなさい」
真美の発想に、不思議と抵抗を感じなかった。俺は頭の中で、幾度も復唱する。
《明恵母さん、明恵母さん、うん、違和感なく言えそうだ。明恵母さん・・》
「うん、真美の言うとおりに呼ぶよ」
「じゃあ、呼んでよ。はい、どうぞ・・」
恥ずかしかったが、俺は息を吸い込み、決意する。
「ん・・、明恵母さん!」
全員が手を叩き、大げさに喜ぶ。明恵母さんが、顔を赤らめ恥ずかしそうに頷いた。
「よし、よし、これで良かった。なあ、明恵・・」
「ええ、良かったわ」
エプロンで涙を拭う。その様子に、真美が寄り添い肩を抱く。
「私も嬉しい。これで本当の家族になったね。日本に来て良かったわ」
俺は複雑な気持ちだった。運命の人にされ、結婚から家族。新しい仕事。
《どうなっているんだ、俺の人生は。俺の人生は真っ白だったはず。まるで虹色に輝くような人生だ。本当にこれでいいんだろうか》
キッチンから、いい匂いがしてきた。
「さあ、準備ができたわよ」
食卓テーブルに行くと、ホワイト・シチュウが目に入った。
「うわ~、ご馳走だ。俺の大好物」
「そうなの、あ~、良かった。ねえ、お母さん!」
「ええ、もし嫌いだったら・・、違うものを考えるつもりだった」
「大丈夫ですよ。もう、お腹が我慢できない。早く食べましょう」
和やかな食事が始まった。二十五年間も味わったことのない雰囲気だ。何故か、涙が零れ食事が進まない。三人が、じっと俺の様子を見詰めている。
「ご、ご免。つい、涙が出て止まらない。どうしてだろう・・。不思議だね」
明恵母さんが、一番悲しんでいる。俺は直ぐに涙を拭いて、笑顔を見せた。
「悲しくて、涙が出たんじゃないよ。幸せを感じたから・・。こんな家庭の雰囲気を味わったことがないから、嬉しかったんだ」