東京オリンピックの年。カラー・テレビが話題となり、我が家もソニーの最新型に買い替えた。母はカラー番組を楽しみに、頻繁に外泊許可を得ては帰って来る。 残暑が厳しい彼岸の一週間前。外泊した母が真剣な眼差しで、兄に心情を訴える。 「佐一郎や! 今度のお彼岸に・・、お墓参りへ連れてっておくれ。お願いだよ・・」 「具合が良くないのに、無理して行くことはないだろう・・」 扇風機の風を受けていた父が、無…
単車に乗る時は、兄とお揃いの皮のヘルメット。白いウサギの毛が縁取られ、風で顔の肌をくすぐる。私の楽しそうな姿を、羨ましそうに見送る七つ上の姉。その姉も、恐らく寂しい日々を送っていたはずである。 夏休みの姉が、不意に保育園へ私を迎えに来た。園長から早退の許しを得ると、俯くままに私の手を握る。姉が通う東小の校門の前。突如、姉が泣き出し、私を抱きしめて放さない。 「ごめん。姉ちゃんが悪いの。ごめん…
乾いた木枯らしが無常の風となり、病室の窓を『コン、コン』と叩く。窓辺のテーブルには、淡いピンクのシクラメンの鉢が一つ置かれていた。清潔な白いシーツのベッド上に横たわる兄。静かな呼吸に、命を繋げるモニターの電子音が『ピッ、ピッ、ピッ』と、一定のリズムで最後の時を刻む。 半時が過ぎようとしている。私は苦にすることなく、その場に立ち尽くす。様々な思いが重なる老いた顔を見詰め、兄が背負った家族への慈…
《最後まで読んでくれて、ありがとう。物語の続きは、自由に想像しても結構だ。ワシは無事にゴキ江の許に帰れた。 その後、小笠原諸島の父島へ移住し、愛する妻と楽しい日々を過ごしている。ただ、歩き回ることは困難だ。そして、ワシの息子黒ピカのことを、懐かしく思い出している。 えっ、息子が何をしているかって? ヤツは成田国際空港で別れ、そのままハワイへ旅立った。今ごろ、ワイキキの浜辺で昼寝でもしていると…
ワシは相手にしない。目を閉じ、現実には有りえないことを脳裏に描く。 《神様から不死の体に大きな翅を与えられ、空高く遠くへと飛び回る。もちろん、マリアブリータのブラジルへ・・。むふふ・・》 「うう・・。リーダー、起きてください。寒・・い・・よ~」 ぐっすりと寝てしまったワシを、懸命に黒ピカが揺り起こした。 「むむ・・、なんだ! 最高の夢を見ていたのに・・」 「寒くて、腹が減って、死にそうです」…
「そ、そんな寂しいことを、言わないでください。独りぼっちでは悲しくて、何もできません」 《お前との別れが、これほど辛く悲しいと思わなかった。命が尽きるまで、お前を忘れない。あ~、息子よ》 翌日の昼。アフリカ大陸の最南端、喜望峰が近づいて来た。 「黒ピカよ、ここでさらばだな」 ヤツが、急に真剣な眼差しに変わった。 「う~ん。やっぱり、リーダーと飛行機で帰ります。こ、怖いけど頑張る・・」 「そう…
「それはない、ワシらは貨物室に乗るからだ」 「え~、飢え死にしちゃいますよ。それなら、や~めた」 「じゃあ、ワシは飛行機で帰る。お前は船で帰ればいい。どうせお前は、横浜へ行く必要があるからな。ワシは一刻も早く、ゴキ江を助けねばならぬ」 「ん~、ん~、船か~、オイラもハム食べたいなぁ~」 「まだ時間がある。お前なりに考えればいい」 「はい、リーダー・・」 平穏な数日が過ぎた。そろそろケープタウン…
船は大西洋の大海原を渡り、一路アフリカ大陸の南端を目指す。海は荒れることなく、穏やかな後悔であった。 《この船も貨物船だから、人間どもの姿が少ない。周りを気にせずに過ごせそうだ。だが、用心しよう。あの光景は、もうごめんだ。ん? ヤツはどこへ?》 探しに行くと、やはりキッチンにいた。ワシのことなど眼中にない様子。ヤツは、がむしゃらに食べていた。 『キュウ~、グルグル』 ワシの胃と腸が泣き叫び…
「私が話すわ。実は、ブリ―リアに子供ができるの」 黒ピカの代わりに、マリアブリータが説明した。 「なにぃ~、それは・・、お前の子供か?」 「はい、オイラの子供です。そう言われました。でも、ひとりで育てるから、オイラは日本へ帰れと・・」 「いや、お前は残れ! 彼女に、もしものことがあったら、誰が子供たちを育てるのだ。ワシはひとりで帰る」 「ウーッ、困ったな~。育てる自信はありません」 「無責任な…
ここは予想以上に居心地がよく、帰国の意思を消し去ろうとする。黒ピカもブリ―リアの計略に嵌ったようだ。 とうと三週間が過ぎてしまった。マリアブリータが仲間を呼び集め、賑やかな集団になっていた。 『ゴキ江! 待っていろ、今助けるからな! 追い駆けても、追い駆けても愛する妻に近づけない。ゴキ江~、ゴキ江~』 「リーダー! 起きてください! 大丈夫ですか? リーダー、目を開けてください」 黒ピカに…