忘れ水 幾星霜 第三章 Ⅱ
そこは、ひとつの出口ゲート。多くの視線が熱く注がれる場所であった。
「ボン・ヂーア! 亜紀さん、飛行機は無事に着陸しましたよ」
先に来て待っていた北島が、笑顔で声を掛けてきた。
「あ、おはようございます。職員のマルコスよ」
初対面のふたりは、にこやかに握手を交わした。同時にゲートの人だかりから歓声が上がった。その様子に、北島は急ぎ通訳を連れて出口ゲートへ向かった。
平静を保っていた亜紀の鼓動が、ドクンと大きな音を立て飛び跳ねる。手すきの右手が自然に胸を押さえた。傍らにいたマルコスがその動作に気づき、心配して彼女の肩をそっと抱く。
「大丈夫? マルシア・・」
亜紀は、視線を出口ゲートに向けたまま、肩に置かれた優しいマルコスの手を震える指先で軽く叩く。
「ありがとう。エストウ・ベン(平気よ)マルコス」
だが、強がっている亜紀の心が、支えて欲しいと願っていた。
入国手続きを終えたふたりが、手荷物検査の列に並ぶ。千香の様子に空港職員が車椅子を手配してくれた。
「千香ちゃん、これに座って」
「嫌よ、亜紀にこんな姿を見せるんて・・」
千香が不平を言うが、有無を言わせない輝明の顔に渋々と座るしかなかった。無事に税関検査が終わる。そこへ北島が現れた。
千香に軽く挨拶すると輝明に一言告げ、荷物カートを押して先に出口へ向かった。その後から、輝明が千香の車椅子をゆっくりと押して行く。
出口ゲートに近づく。待ち受ける人たちの歓声が、ますます大きく聞こえてきた。
「輝坊ちゃん、胸がドキドキするね。体が震えてきた」
「そうだね、いよいよだ。こんな老け顔をみたら、ビックリするだろうね」
《あぁ~、胸が破裂しそうだ。亜紀さんがいるよって、北島さんがオレに教えた。なぜ、千香ちゃんに言わず、オレに・・?》
「あっ!」
瞳を凝らして見詰めていた亜紀が、飛び上るほど声を上げた。車椅子に座った女性、その後ろには面影が残る男性の姿。双方の目が固まる。すべての思いが脳裏を駆け巡り、この瞬間、三十年の星霜が消え去った。
亜紀を探し当てた千香が車椅子から立ち上がり、泣き笑い顔で亜紀に近寄る。ふたりは強く抱き合った。
「亜紀、亜紀、やっと会えたわ」
亜紀は千香の背に手を回す。余りにも痩せた弱々しい体に驚く。ただ、不思議な温もりを感じた。喜び、安堵、悲哀などの情が絡む温もりであった。
《千香、ごめんね、この体で来るなんて、無茶よ・・。でも、ありがとう。会えて良かった。本当に良かったわ》