ウイルソン金井の創作小説

フィクション、ノンフィクション創作小説。主に短編。恋愛、オカルトなど

創作小説を紹介
 偽りの恋 愛を捨て、夢を選ぶが・・。
 謂れ無き存在 運命の人。出会いと確信。
 嫌われしもの 遥かな旅 99%の人間から嫌われる生き物。笑い、涙、ロマンス、親子の絆。
 漂泊の慕情 思いがけない別れの言葉。
 忘れ水 幾星霜  山野の忘れ水のように、密かに流れ着ける愛を求めて・・。
 青き残月(老少不定) ゆうあい教室の広汎性発達障害の浩ちゃん。 
 浸潤の香気 大河内晋介シリーズ第三弾。行きずりの女性。不思議な香りが漂う彼女は? 
 冥府の約束 大河内晋介シリーズ第二弾。日本海の砂浜で知り合った若き女性。初秋の一週間だけの命。
 雨宿り 大河内晋介シリーズ。夢に現れる和服姿の美しい女性。
 ア・ブルー・ティアズ(蒼き雫)夜間の救急病院、生と死のドラマ。

忘れ水 幾星霜 (プロローグ)

 日本航空JAL021便、十四時間ほどのフライトで到着したニュー・ヨークだが、わずか一時間半の休憩で再び夕間暮れのケネディ国際空港を飛び立った。それから十時間が過ぎたころ、左翼側の小窓の隙間から熱帯特有の強い陽の光が射し込んできた。
 機内の照明が灯り、客室乗務員がホット・タオルを配り始めると、あちらこちらから背伸びをする声が上がる。
《ふう~、もうすぐだなぁ》
 輝明は、疲れと不安で大きなため息を漏らす。隣の千香がもそもそと動き、彼が顔を向けると目線が合った。
「おはようさん・・」
「おは・・よ・う。輝坊ちゃんは、寝なかったの?」
「ううん、ぐっすり眠れたよ。千香ちゃんのお陰で高いビジネスに乗れたから・・」
 ブラジルまでの長いフライトは、千香の病状に好ましくないと医師から忠告。少しでも楽なビジネス席に彼女だけを予約したが、隣に輝明がいなければ不安で嫌だと承服しなかった。やむを得ず、彼も同席したのである。
「今、どの辺りを飛んでいるのかしら?」
「そうだね、そろそろアマゾンの上かな!」
「えっ、本当に? 見たい!」
 千香が直ぐ右横の小窓のブラインドを上げ、好奇心に覗き込む。
「あっ、本当だわ。幾つかの白い綿雲の下に、樹海が広がっている。くねくねと大きな川が見えるけど、あれがアマゾン川なのね?」
「うん、そうだね」
「とうとう、ブラジルへ来てしまったのね。私たち・・」
 千香は窓から目を離さずに、しなやかな左手を後ろへ差し向け輝明の右手を掴む。千香の手は細く小さかったが、心の温もりを彼に伝えた。
 輝明は、その手に左手を重ねる。
《ありがとう。千香ちゃん・・。オレの気持ちは、あの日から何も変わっていないよ。でもね、これからあの人と会えるのに・・。もし、彼女の本心が違っていたら、どうしようかと悩んでいる。ア~、女々しい奴だオレは・・。もう、ブラジルに来てしまったんだ。きちんと向き合うしか、ないだろうね千香ちゃん・・》
 輝明が、千香と一緒にブラジルへ訪れたのは、二ヵ月前の千香の手紙がきっかけであった。
 神戸に住む千香からの手紙が届いたのは、前日の台風が嘘のような清々しい秋晴れの昼下がり。
《いつも電話で済ませるのに、手紙を寄越すなんて千香ちゃんらしくないな。一体どうしたというのだ?》
 不思議に思いながら居間に行き、ソファで落ち着いて読むことにした。ペーパー・ナイフで封を開け、薄紫色の便箋を取り出す。広げると小さな文字がびっしりと書かれてあった。
《うそっ、千香ちゃんの字。綺麗だけど、こんなに小さく書くんだ》
 小さな文字を興味深く読み始める。
【拝啓
 前略ごめんください。
 年賀状以外に手紙を書くなんて初めてね。電話では、うまく伝えられないと思うから文にしました。輝坊ちゃん、あなたは今でも亜紀の忘れ水を、見守っているのかしら。
 実はね、主人の教え子が昨年の五月から三年間、ブラジル経済事情の調査にサン・パウロへ行かれたの。出掛ける前、挨拶に来られたから、無理は承知で亜紀の消息をお願いしたわけ、軽い気持ちでね。
 それが意外にも、教え子の北島さんから報告の手紙が届いたのよ。とても驚いたわ】
 輝明は、そこまで読むと便箋から目を離した。驚愕な事実に心は抑圧され、息詰まる思いがした。同時に、心の奥に封印したはずの大切な記憶が、澄み渡る秋晴れの空へ突然に解放されて行く。

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