青き残月(老少不定) Ⅵ
ゆうあい教室に戻ると、松原君が将棋盤を見詰めていた。しかし、心は別なところを彷徨っている。
「浩ちゃん、カルタでは勝てないけど、先生は将棋が強いぞ」
私は、彼の気持ちをスライドさせようと、軽い声で試みる。ところが、この後に、彼が持つ真意の優しい心ばえを感受させられた。
「先生・・、ボクは・・、ボクは」
「どうした? ん、やろうよ」
箱から駒を出し、将棋盤の上に広げた。駒を並べるよう急き立てる。彼は駒に触れたが、動作が覚束ない。
「どうした浩ちゃん? やりたくないのか?」
私は彼の気持ちも知らず、強く聞いてしまった。
「ボ、ボクは知らない。将棋をやったことがないから・・」
低く渋い声で呟いた。
「えっ、本当なの? でも、柴田君と一緒に・・やりたいと・・」
私も声が低くなった。
《ごめん、心の中が読めなかった。君の本当の優しさが理解できて、うれしいよ》
私は、彼をますます好きになった。
「そうか、じゃあ、先生が教えてあげる。これからは、先生が将棋の師匠だ」
松原君の沈みかけた顔が、くしゃくしゃになるほどの喜びの顔に変わった。
それからは、ゆうあい教室へ顔を出すたびに、駒の並べ方や動きを丁寧に説明した。ようやく、実際に駒を指してみると、カルタの図柄を覚えたように強い眼差しで記憶していった。
一ヵ月後には、ほぼ完璧に将棋の指し方を把握し、対等に駒を進めるほど成長する。当初は負けても平然としていたが、松原君は徐々に負けん気な顔を見せるようになった。
冬になると、松原君の通院が増える。それは、彼の出生に関係していた。
出産時、一般の胎児より二倍ほどの体重。検査の結果、胎児の首に大人の拳ほどのリンパ管腫が見つかる。帝王切開で出産。直ぐにリンパ管腫の手術を行なうが、肺機能障害となり生後一ヶ月で三回の再手術。その後、細菌性髄膜炎を引き起こし、抗生物資を大量に投入された。
それが誘因と判明できないが、抗生剤に反応しない体質で皮膚粘膜リンパ節症候群(川崎病)を発症したという。
松原君は、出産と同時に痛い思いばかり経験している。その話を母親から直接に聞いたとき、私の心は捻じれ深い悲しみに沈んだ。ただ、彼の屈託のない笑顔に、私は救われる思いであった。
彼は人一倍に汗をかく。常に水分補給のためにスポーツ・ドリンクを持ち歩いていた。体温が三十六度代でも、インフルエンザに罹りやすい体質なのだ。
さらに、小学四年生のとき、脳への情報が健常者よりも低下するアスペルガ―症候群と診断される。松原君は生まれることによって、多くの障害を負うことになった。
それでも、彼は懸命に生きる。勉強は苦手らしいが、ピアノ教室へ通い音楽を愛した。ゆず、アンジェラ・アキやジブリの曲が大好き。特に、私の心を癒してくれた(戦場のメリー・クリスマス)は、彼の十八番である。