青き残月(老少不定) Ⅴ
梅雨明けの本格的な夏の日差しが、校庭の隅々を容赦なく熱していた。
その日の三校時が終わる頃、柴田母子が学校に現れた。柴田君は車中から出ようとしない。登校したことを聞いた松原君が、急いで三階から降りて駐車場へやって来た。炎暑の下で汗だくになりながら、彼らしい優しさで柴田君を教室に誘う。
しばらくして、後部座席のドアが開いた。松原君は手を叩き大喜び。佐野先生と小池先生にガッツポーズする。三階の窓から見ていた私には、ハイタッチの仕草をした。私も同じ仕草を返す。
残念なことに、相談室の野中先生に面談すると直ぐに帰ってしまった。松原君は教室で楽しみに待っていたが、帰ったことを知らされ深く失望したらしい。その様子を聞いて、私の心も重く沈んだ。
その後、松原君は私と会う度に、柴田君のことを尋ねる。
「柴田君、今日も来ないね」
「柴田君、学校に来れば楽しいのにね」
「柴田君、明日は来るかなあ」
結局、一学期は終わり夏休みに入った。
松原君は部活に吹奏楽部を選ぶ。夏休み中は練習に励んだ。
彼が、吹奏楽部を選んだ理由について、母親から聞かされた。小学三年生の時に町内のお祭りで和太鼓を叩くことになった。音楽の授業は、太鼓の練習を繰り返す。先生からリズム感が良いと褒められ、音楽が大好きになったという。先生の勧めと家族の応援で、ピアノ教室にも通う。
ある時、浮かぬ顔をしている私に、教室内のエレクトーンで(戦場のメリー・クリスマス)を演奏してくれた。私は驚きと嬉しさで、嫌な気分が爽快になった。
夏休みも終わり、新学期が始まる。松原君は、たくましく日焼けした顔で登校。
その翌日、佐野先生から柴田君が登校していると知らされ、急ぎ三階の教室へ行く。授業中なので、後方の戸を静かに開けて中に入る。二人が仲良く並んで腰掛けていた。柴田君は緊張した様子で先生の話を聞いているが、松原君は嬉しくて落ち着けない。柴田君の横顔をチラチラと盗み見している。
たった一時間の授業が、柴田君には耐えられないようだ。そわそわした態度で、佐野先生に帰りたいと言い出した。その言葉に、松原君が引き止める。
「柴田君、もう少しいなよ」
彼は答えず、外の校庭をひたすら眺めている。
「カルタ、しようか?」
松原君が誘うが、反応しない。
「柴田君は、将棋ができるのかな?」
私は、咄嗟に松原君を加勢するつもりで、柴田君に声を掛けてしまった。
「いえ・・」
至ってすげない返事で答える。彼の強い心の閉塞を感じた。
「先生・・、ボ、ボクもやりたい」
別の所から反応が起きた。松原君が答え、後ろの棚から将棋盤と駒を取り出し、長テーブルの上に用意する。
職員室から佐野先生が戻ってきた。
「じゃあ、帰りなさい。お母さんに連絡しておいたわ」
柴田君に伝えると、彼はそそくさと教室を出て行く。校門まで彼の後を追い、姿が消えるまで私は見送った。教室に戻る間、松原君の心根を推し量る勇気は持てなかった。