浸潤の香気(大河内晋介シリーズ Ⅲ)Ⅶ
「いや~ぁ、なんと心を魅了する香り!」
「そうでしょう。この香りを知って、私も虜になってしまった」
テーブルの上には、多様な形や大きさの沈香が並べられた。
「これだけ集めるには、苦労されたでしょう」
祖父は嬉しそうに、収集した経緯を事細かに説明した。横で聞いていた若月が立ち上がり、祖父の書棚から古い小冊子を見つけ手に取って読む。
「ジイ、この本を貸してね」
「ああ、いいけど。何か載っていたかい?」
「うん、ちょっとね。沈香にまつわる昔の話が書いてあった。それが、今回の内容に似ているんだ。主任、見てください」
若月が差し出した小冊子を、数ページほど素読する。確かに、千代の話と一致する箇所があった。特に怨霊となった舎人の話は、権助そのままの内容である。私は背筋に悪寒を感じながら、怨霊が排除される結末に心を奪われた。
「興味ある内容だね。これは参考になる」
「そういえば、涼太から沈香が欲しいと・・、聞いたんだが・・」
「ええ、ある女性を助けるために、必要なんです」
私は、若月の祖父に理解してもらえるか疑問であったが、今までのことを率直に話す。最初は驚いた様子だったが、話に幾度となく頷き理解したようだ。
「じつは、ワシが沈香を集め始めたころ、同じような体験をしたんだ。ワシは恐ろしくなり、逃げ出したよ。夜の電車を避け、お寺にお祓いを頼む。決してお守り袋を離さなかった。アッハハハ・・、孫の涼太も経験するなんて、摩訶不思議なことがあったものだ。笑ってしまうな、ハハハ・・」
私と若月は顔を見合わせ、祖父と一緒に笑ってしまった。
「分かった、好きなだけ使っていいよ。ワシができなかったことを、やってあげなさい」
「感謝します。ただ、権助の邪鬼には注意しないと・・」
「そうですよ、主任! 何か対策を考えましょうよ」
私は、自分の思っていることを彼に告げた。
「もう、考えているよ。教王護国寺(東寺)の不動明王と般若心経を活用するつもりだ」
「えっ、不動明王と般若心経?」
「大河内さん、それはいい考えだ。あの本に書いてあったやつですね」
「はい、そうです。権助の悪を絶ち仏道に導くことです」
「主任、邪鬼ですよ。邪鬼になった権助は、簡単にいかないと思いますよ」
「恐らく駄目だろう。むしろ嫌がると思う。それに他の邪鬼が許さないはずだ」
「涼太・・、大河内さんはそれを狙っているんだ。やつらの嫌がることを行なえば、やつらは必ず身を引き逃げる」
私は不動明王のミニチュアと般若心経本を、金曜日までに手配することを若月に話した。若月は、それで納得した。
「これも、持って行きなさい。お守りになるから・・」
祖父が、細かく削った沈香を匂い袋に入れ、ふたりに渡した。その後、祖母が用意した早めの夕食を済ませてから、東京へ戻った。