謂れ無き存在 ⅥⅩⅧ
至ってシンプルなロビー。受付けで一枚の用紙にサインをする。サイン以外は、真美が書き込んだ。俺の名前の横にハズバンドと書かれていた。受付けの女性から、握手を求められる。
「えっ?」
俺は応じた。早口で何かを言われた。
「彼女、私の知り合いなの。結婚のお祝いを言ってるから、礼を答えれば・・」
真美が説明する。俺は笑顔で、決まり文句で答えた。
「センキュウ、センキュウ」
受付けが終わり、部屋に向かう。オヤジさんと俺が旅行ケースを運んだ。部屋は五階。
エレベーターを降り、明恵母さんたちは左側へ。オレ達は右側に進む。
廊下の中ほどの部屋だった。真美がカード・キーを差し込み、ドアーを開ける。俺は二人のケースを中に運び入れた。
二人同時に、大きな溜め息を吐いた。
「やっと、着いたわ。疲れたね」
「うん、疲れた・・」
真美が近寄り体を寄せた。両腕を俺の首に巻き付ける。
「ここが、私の故郷。ここで育ったわ」
唇を合わせる。俺は真美の背に手をやり、強く引き寄せた。しばらく抱擁を続けた後、旅装を解きクローゼットに衣類を収容する。
真美がシャワーを浴びている間、俺は窓から外の様子を眺めていた。静かな街並みであった。車の通行も少なく、住み易そうな町に見える。
《ここが、真美の育った町なのか。どんなことを考え、何をしていたのか。確か、辛い思い出の町でもある》
目の前に、線路が見える。
《ああ、電車が走るんだ。どんな電車だろうか》
「驚くと思うわ。ふふ・・」
バス・タオル姿の真美が声を掛けた。洗い髪に乾いたタオルを巻く真美は、何かをイメージして笑う。
「何が驚きなんだい? 電車がユニークなのかな・・」
真美が窓辺の俺に近づき、外を眺める。
「昼間は、普通の電車よ。だけど、夜間が凄いの。その時になれば、分かるわ」
俺の軽い脳は、真美のボディ・ソープの香りに悩まされ、電車のイメージが湧かない。