謂れ無き存在 ⅣⅩⅠ
「もしかして、車の中にいる人かい? 」
「ああ、そうです」
「凄い別嬪さんだね。女優の誰かに似ているなぁ。本当に結婚するのかい?」
社長は疑い、興味津々に車の真美を見る。
「真美! こっちに来てよ・・」
俺は真美を呼んだ。
「社長が、信じてくれないんだ。俺たちの結婚を・・」
彼女は車から降りて、笑顔で挨拶をする。
「初めまして・・、はい、私たちは運命で繋がり、既に結婚しています」
澄ました顔で、答えた。
「えっ、既に結婚してる?」
社長と俺は同時に顔を見合わせた。
「そうでしょう、あなた?」
「ああ、そ、そうだ。結婚しています」
俺は胸の動悸を抑え、はっきり返事をした。
社長は返す言葉も無く、口を大きく開けたままだ。
「それでは、社長! 失礼します・・」
「あや、恐れ入ったなぁ。おめでとう・・。ちょ、ちょっと待ってくれ」
社長は経理の事務員に、今までの給料と祝儀袋を用意させた。
「これは本の少しだが、オレの気持ちだ」
感謝の気持ちを伝え、俺は素直に受け取る。その場の目線を背に受け、俺たちは車に乗り込んだ。俺は汗でびっしょり。その様子に、真美がハンド・タオルを取り出し、額の汗を拭いてくれた。
「うふふ・・、首筋は自分で拭きなさいね」
「あ~、気絶しそうだった。驚かせるなよ・・」
「だって、事実なんだもの。私と結婚したくないの?」
愛くるしいつぶらな瞳で俺を睨む。俺は真美の拗ねた唇を、右手の親指と人差し指に挟んだ。
「もう~、こ・れ・は、俺の命を縮める憎たらしい唇だ」
俺の指を払いのけると、薄笑いを浮かべる。
「ふふ・・。あら、この唇が好きなくせに。そう、分かったわ・・。ふふ・・」
「えっ、な、何が? 分かったのさ?」
彼女は俺を無視して、車を発進させた。嫌な予感が俺の軽い脳に響く。俺は真美の横顔を見詰める。
《ぽっちゃりとした唇。白い耳たぶと小さなホクロがセクシーだ》
「そんなこと、考えても無駄よ。もう、キッスなんかしてげないから・・」
俺の心臓がラージ・ヒルのジャンプ台からすっ飛んだ。