謂れ無き存在 ⅢⅩⅨ
腹が減って、我武者羅にハム・エッグを食べようとした。
「オウ、マイ ダーリン! 先に野菜を食べてから・・」
差し出した手を叩き、眉をひそめて注意する。
「えっ?」
俺は一瞬たじろぐ。
「だって、健康は大事よ。長生きしてね。もう、独りになりたくない・・から」
「うん、そうするよ」
俺は素直に頷き、野菜をモリモリと食べ始める。
「これからは、洸輝の健康管理に気を付けるわ。体が弱かったら、私を愛せないでしょう? うふふ・・」
首筋の白い肌が赤く染まり、俺を見詰める瞳に妖艶な光が射す。俺は生つばを、ゴクリと飲み込んだ。
「あっ、はいっ・・」
俺の軽い脳は、十分に刺激され戸惑った。目の前のコーンスープを一気に飲み、心をはぐらかす。
「ところで、お母さんのことだけど・・。悲しく残念に思ったかしら?」
突然のことで、どう解釈すれば良いのか、明確な判断ができなかった。空虚な心を感じている。
「実は、答えが見つからない。母の愛がおぼろな記憶として残る。それは肌の温もりと香りだと思う」
「肌の温もりと香り?」
自分が二歳の頃だ。施設の玄関で強く抱き締められ、突然に母から突き放された。俺は訳も分からず、呆然とした。施設の職員が、他の子供たちの部屋へ連れて行く。子供たちは、同じ瞳で俺を見詰めている。
そうさ、哀れみでもなく、悲しみでもない。無表情で暗い瞳であった。俺は怯え、部屋の隅にうずくまる。膝を抱え込み、懸命に考えた。何も答えが出ない。
しばらくすると、母の温もりと香りが衣服から漂う。涙が自然に湧き、抱え込む膝を濡らした。
「うん、最後の思い出だよ」
着ていた服を脱がされた。俺はその服にしがみつき、大声で泣き叫び離さなかった。その記憶は、今でも心に残る。ただ、その着ていた服は既に処分され、俺は再び目にすることはなかった。