謂れ無き存在 ⅩⅣ
「ううん、誰からも。ただ、何故か記憶に残ってるの」
「多分、お母さんが、子守唄で歌ってたかも知れないね」
「そうかもね・・」
真美が紅茶を運び、洒落たガラス張りのローテーブルに置く。そして、俺の横に座り、体をぴたりと寄せた。真美の熱い体温が俺の体に侵略を試みる。俺の軽い脳は、彼女の熱い息遣いに反応し独り喘ぐ。だが、心の奥は冷静な判断を強く求めていた。
《ただの煩悩で一線を越えることは、いとも簡単だ。でも、まだ運命の意味が理解できないまま、超えることは彼女を不幸にするだけだ。俺だって、》
真美の甘い香りが、俺の鼻腔を刺激する。俺はローテーブルのカップを手に取り、熱い紅茶に神経を集中させた。
真美がスーッと席を立つ。俺は一瞬、彼女に目を向けてしまった。真美の視線と絡み合う。
「私、シャワーを浴びて来るね。あなたも後で浴びるでしょう?」
「あっ、うん、でも、着替えが無いから・・」
俺は上手く逃げたつもりであった。
「うふふ・・、新しいの買ってあるわ」
真美の言葉は悪魔の囁きに聞こえ、俺の妥協を強引に引き寄せる。
「嘘だろう? 俺のサイズを知らないくせに」
「だから、MとLの両サイズを買ったの」
「参ったなぁ~。真美には、かなわないや。降参だ・・、アッハハ・・」
俺は笑うしかなかった。
「そうでしょう。ムフフ・・。なんなら、一緒に浴びる?」
彼女の媚びた眼差しは、俺の心を震撼させる。軽い脳は完全に体たらくで、真美の従者に成り下がっていた。
「いや、いいよ。先に入ってくれ。俺は後でいいから」
「そう・・。じゃあ、いいわ」
彼女は不満そうな態度で、浴室に姿を消した。俺はホッと一息入れる。残りの紅茶を飲み干すが、渇いた喉を完全に潤すことができなかった。
《真美は初に見えるけど、男を知っているのだろうか。俺は恋さえ初めてなのに、どう対応すれば良いか分からん。困ったなぁ・・》
浴室から、シャワーの音が反響してくる。俺の動悸がさらに高まり、治まりようが無い心境になった。浴室の戸が開き、真美が俺を呼んだ。
「ねえ、タオルを忘れちゃった。そこに有るでしょう? 持って来て、お願い」
《おい、嘘だろう》
確かに、ソファの横に置いてある。
「お願い、早く持って来てよ!」