謂れ無き存在 Ⅲ
「俺は、あなたを知りません。初めてですが・・」
「ええ、私もよ。だって、あのセミナーに参加したのは、今日が初めてですもの」
「いや、俺も初めて参加した」
俺は、彼女の瞳を初めて見ることができた。
《なんだ! この瞳は・・。俺の魂が吸い込まれる。あ~、綺麗だなぁ~》
彼女の瞳を見詰めたまま、俺の記憶は夢遊病者の様に歩き回る。
「そんなに見詰めないで、恥ずかしいわ」
謎めく天使の声に、俺は目覚めた。
「ハッ! あ~、いやいや、失礼しました。余りにも、あなたの瞳が・・」
「それ以上のこと、話す必要はないわ!」
彼女の表情が瞬時に険しくなった。俺は驚き声を失う。
「あっ、驚かせて、ごめんなさい。だって、あなたが何を考えているのか、私には見えているもの」
険しさが消え、元の素顔に戻った。逆に、俺の方が強張った顔になる。
「ワォ~。そうだ、そうだよね。困ったな。何を考えればいいんだ」
「うふふ・・、平気よ。私が神経を集中しなければ、あなたの心は見えませんから・・」
彼女の笑いと天使の声で、強張りは薄らいだ。
「本当に? あ~、良かった。俺の考えが丸裸って、嫌ですよ。あはは・・」
「ふふ・・、そうね。私も見たくないわ。ふふ・・」
ふたりは、互いを見つめ合い笑った。そして、同時に目の前の紅茶を飲む。一息入れると、彼女は俺の顔を覗き見る。
《わっ、いかん。見られている。変なことは考えるなよ》
「心配しないで・・。ただ、あなたの顔を見ているだけよ」
でも、俺は信じなかった。懸命に、心の中を無の境地にする。
「ダメだ。俺の心を抑えても、軽い脳みそが反応する。バカだな俺は・・」
確かに、俺は疲れた。
《そう、俺は自然体で考え、自然体で行動すればいいんだ。彼女のことも》
「それで、俺を誘った理由は、なんでしょうか?」
「ええ、特に理由は無いの。セミナーで、先生があなたに興味を持ち、メモを渡したでしょう? それが知りたかっただけよ」
俺は黙って聞いていた。
《俺にも、あの講師の考えが分からない。何故だ?》
「そうなの? 意味が分からないんだ」
《まるで以心伝心だ。やはり、俺の心が見えているんだな》
「そうさ、分からないよ」
俺は隠す必要はないと判断し、彼女に見せるためポケットからメモを取り出した。彼女はメモの裏表を見る。