ウイルソン金井の創作小説

フィクション、ノンフィクション創作小説。主に短編。恋愛、オカルトなど

創作小説を紹介
 偽りの恋 愛を捨て、夢を選ぶが・・。
 謂れ無き存在 運命の人。出会いと確信。
 嫌われしもの 遥かな旅 99%の人間から嫌われる生き物。笑い、涙、ロマンス、親子の絆。
 漂泊の慕情 思いがけない別れの言葉。
 忘れ水 幾星霜  山野の忘れ水のように、密かに流れ着ける愛を求めて・・。
 青き残月(老少不定) ゆうあい教室の広汎性発達障害の浩ちゃん。 
 浸潤の香気 大河内晋介シリーズ第三弾。行きずりの女性。不思議な香りが漂う彼女は? 
 冥府の約束 大河内晋介シリーズ第二弾。日本海の砂浜で知り合った若き女性。初秋の一週間だけの命。
 雨宿り 大河内晋介シリーズ。夢に現れる和服姿の美しい女性。
 ア・ブルー・ティアズ(蒼き雫)夜間の救急病院、生と死のドラマ。

ア・ブルー・ティアーズ (蒼き雫)Ⅳ

 穏やかな元旦の朝を迎えた。全日本実業団駅伝の報道用ヘリコプターのプロペラが、澄みきった空気を切り裂き忙しなく飛んでいる。私は妻の八重子と初詣に高崎観音へ出かけた。ブラジルから帰国して二十五年になるが、高崎観音に毎年欠かさずに参詣している。時折、八重子が他の寺社へ誘うこともあるが、私は頑なに譲らない。
 その訳は、父と最後に会話をした高崎駅のプラット・ホームにある。発車を知らせるけたたましいベルが鳴った。父が胸ポケットから赤いお守り袋を取り出し、ぶっきらぼうに寄越す。それは、高崎観音のお守りであった。手渡す父の手は、指の関節がごつごつと膨れ微かに震えている。
「オヤジ、ありがとう」
「気いつけてな!」
 ふたりの会話は短かった。
 私は軽く頭を下げる。父は、ぎこちなく片手を上げた。ドアがプッシュと音を立て、二人が感じている空気を遮断した。父の姿が横にずれて行く。私は老いた父の顔をまともに見てしまった。眼を大きく見開き、私を見詰めている。その眼から涙が溢れ、青く光る雫が一粒一粒ゆっくり落ちる。私の記憶は、その青く光る雫を脳裏深くに焼き付けた。
 私が乗る電車は、父独りが立つプラット・ホームから無情に離れて行く。私の手には赤いお守り袋が優しく握られ、父の最後の温もりを感じていた。記憶は時とともに流れるが、父の青く光る雫と赤いお守りは私の心根に深く残っているからだ。
 七草粥も過ぎた日の夜。事務所の戸締りをしている時に、胸ポケットの院内用携帯が鳴った。
「はい、横山です」
「六階の加藤だけど、関川さんがステルベン(死亡)なの」
「えっ、本当ですか? 家族の誰かがいるのですか?」
「息子さんが看取ったわ。奥さんに連絡したので、チャイムがあったら中に入れてね」
「はい、分かりました。霊安室を開けておきます」
「ええ、よろしくね」
 六階の加藤看護師長は要件を伝えると携帯を切った。キーボックスから霊安室の鍵を手に取ると、事務所を出た。霊安室までの廊下が長く感じる。
《あの青年は、別れの瞬間まで父親のそばにいた。どんな気持ちだったのかなぁ。辛く寂しい思いだったろうな。オレはオヤジの最後に立ち会えなかった・・。羨ましく思う》
 外廊下に出ると、厳しい寒さが私の体を締め付けた。
「うわ~、寒い。耳が痛い」
 霊安室を開けエアコンの暖房を入れる。急ぎ足で事務所に戻った。すぐに熱い紅茶を入れて飲む。熱い液体が喉を通り胃に溜まると、冷えた体が温もる。だが、心は温もらなかった。
 一週間後の成人式の朝。当直室で帰り支度をしていると、受付の女子事務員が私を呼んだ。モニター画面に人の姿が見え、受付けに行くと関川青年が笑顔で挨拶してきた。
「こんにちは!」
「やあ、しばらくだね。少しは落ち着いたの」
「ええ、おかげさまで」
「このみぞれの中、倉渕から来たの?」
「いいえ、結婚してから市内の貝沢町に住んでいます。その節はお世話になりました」
 私は待合ロビーのテーブルへ行き、話をすることにした。自動販売機で温かい飲み物を買って、彼に勧める。私は気になっていた彼の気持ちを知りたくて、迷いながらも尋ねた。
「関川君、聞いてもいいかな?」
「えっ、なんでしょうか?」
 私が真剣な眼差しで彼を見詰めるので、聞かれる内容を不審に思い彼は前かがみになった。
「いやいや、突然にごめん。実は前から気になっていたことなんだ。お父さんが亡くなる前、関川君がお父さんの手を握りながら、何かを話していたことがあったよね?」
 私はテーブルに両肘をつき手を組み合わせた。
「それで、何を話したの?」
「あ~、そのことですか? はい、話しました。でも、あの状態では一方的ですよね」
 その時のことを思いだし、爽やかな笑顔を見せる。
「いろいろと話しました。良くも悪くも思ったこと全部です」
 彼は天井を見つめ腕を組んだ。私は黙ったまま耳を澄ませ聞いた。
「父は倉渕の森林組合に勤め、いつも忙しく働いていました。休日、雨や雪の日も出かけて行きました。母は父の帰りを夜遅くまで待ち、体を心配していましたね。・・・」
 一瞬、言葉が詰まった。
「辛いことを聞き悪かったね」
 私は余計なことを尋ね、謝った。彼は首を振り、話を続ける。
「いえ、今は辛いと思っていません。父を尊敬しています。僕たちのために懸命に働いていましたから。父が亡くなっても、心の中にいます。父と同じ道を歩くなら、ライバルとして考えたかもしれませんが、僕の道は違いますから。幼い頃、父は楽しく遊んでくれましたが、父の背中が大きく見え・・。今でもそう思います」
「そうか、意外とさっぱりした内容だったんだね。もうちょっとめそめそする話かと思ったよ」
 関川青年は、目の前の温かい缶コーヒーを一口飲み、真剣な顔になった。
「でもね、横山さん。僕は父に恨み言も伝えましたよ。今、死んだら一番辛く悲しむのはお母さんだよって・・。だから、生きろって怒鳴りました。それに、これから生まれる孫を抱いてくれ、父親になったオレを見てくれとも言った。妹の花嫁姿が見たいと・・」
 息を大きく吐き、付け加えた。
「最後の、あの日のことは忘れません。父が薄く目を開け、父のがさがさの手が僕の手を強く握りました。とっさに父の体を腕に抱きかかえました。痩せ細った父の体は、不思議な感動でした。父の顔がほころび、涙を浮かべる優しい目。その後に、ふっと父の体が軽くなるのを感じた。それが父の最後です」
 関川青年は、立ち上がり目礼をした。私も黙って手を差出し握手を求めた。彼はためらうことなく私の手を握る。彼は世話になった六階のナース・センターへ行く。私は当直室に戻り、自分のバックを持って家に帰った。みぞれが本格的な雪に変わっていた。

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