忘れ水 幾星霜 第五章 Ⅳ
搭乗手続きのアナウンスが流れた。千香が、秋の側に寄り添い小声で話す。
「亜紀、お別れね・・。会えて良かった。必ず、必ず来てね」
「うん、自分がこんなにも幸せとは・・。あなたのお陰よ。ありがとう。千香、必ず行くわ」
どちらともなく、ふたりは強く抱き合った。千香と亜紀が離れるのを待って、輝明は亜紀に近寄る。小刻みに震える亜紀の体を引き寄せた。さらに強く抱きしめ、別れ際に軽く唇を寄せる。
「さよならは言わない。本当の人生は、これから始まるから・・」
「ええ、分かっているわ。身体に気を付けてね。愛してい・・る」
「うん、ボクも愛しているよ」
千香と輝明はマルコスを呼び、ブラジル式にハグをした。
「マルコス、お母さんを頼むね」
「あ~ぁ、マルコス。お別れね、必ず亜紀を連れて日本に来るのよ。お願い・・」
「大丈夫だよ。ぼくが守る。ママィ(母さん)を幸せにする」
千香は、亜紀とマルコスの手を、出国ゲート入口まで離さなかった。
「北島さん、大変お世話になりました。また、その後のことは、ご面倒ですが宜しく頼みます」
「いいえ、とんでもないです。奥さまのお役にたてられ幸いです。お気をつけて・・」
「セルジオさん、ありがとう」
「佐和さん、テレーザさん、さようなら・・」
「おふたりにバイ・コン・デウス(神のご加護を)・・」
出国ゲートに入る寸前に、亜紀が輝明の手を掴む。
「輝君、ありがとう・・」
ふたりの瞳は重なり、互いに大きく頷く。輝明は千香の肩を抱きかかえ、再度頭を下げると中に進んだ。そのふたりの背中に、マルコスの声が響く。
「チャオ! チア千香、パパィ!」
千香の痩せ細る肩が震える。輝明は千香を気遣いながら、ゆっくり一歩一歩と搭乗口まで行く。そして、時間までベンチに座らせた。
「疲れたろうね。永い心配事が終わったね」
「そうね、ホッとしたわ。来てよかった。でも、輝坊ちゃんの人生はこれからよ。大切にして・・」
「うん、分かっている。千香ちゃん、ありがとう」
亜紀は、佐和や北島と別れた後、マルコスと一緒に階上の見送りデッキへ行く。昼間のスコールが暑さを和らげ、爽やかな風が亜紀の長い髪を細かく撫でる。彼女は遠くの滑走路で待機中の旅客機に視線を置く。
ジェットエンジンの鋭い音が、空港内に響いてきた。旅客機が徐々に動き始める。マルコスが亜紀を後ろから抱きしめた。