忘れ水 幾星霜 第五章 Ⅲ
突然に空が暗くなり、スコールに見舞われる。道路があっという間に冠水状態。セルジオが注意しながら、ゆっくりと車を走らせる。
「凄い雨ね。後ろのマルコス、大丈夫かしら・・」
「驚かれたでしょう、直ぐに止みますよ。ああ、彼はしっかり走っていますね」
「いいえ、驚かないわ。確か、熱帯特有のスコールでしょう? 主人と一緒にタイで経験したことがあるから」
「千香、ブラジルの人は雨期の長雨以外は、傘を持たないの。街角の飲食店でカフェを飲みながら、のんびりと待つのよ」
「日本人はせっかちだよな。土砂降りの雨でも懸命に走る。北島さんは・・」
「私なんか、直ぐにコンビニでビニール傘を買ってしまう。妻からは家中が傘だらけと、嫌味を言われていますよ。アッハハハ・・」
スコールのお陰で重苦しい雰囲気は解消され、話題に集中することができた。
「そうだわ。亜紀、修学旅行で行ったときの、あの、お寺を覚えている?」
「覚えているわ。三千院よ。帰り道に、篠突く雨に降られ大変だったもの」
「旅館に着いたら、びっしょりよ。下着も丸見えで大恥かいたわ。女子高で良かった」
「ええ、いい思いでね。あの頃が、懐かしいわ」
「オレも、同じことがあったなぁ」
「あら、嫌だ。輝坊ちゃんの想像なんて、とても考えたくない。ねぇ、亜紀!」
千香に嫌味を言われ、ふて腐れる輝明。その表情に、千香と亜紀が又しても笑う。
雨が止み、パッと陽が差して明るくなった。空港のターミナルが近づくにつれて、車内が再び重苦しい空気になる。
空港の玄関口に車を停め、マルコスが荷物をカートに載せ替える。輝明は、亜紀に千香を頼み、北島と航空会社のカウンターへ急ぐ。
刻々と別れの時間が迫る。迎えの時間はゆっくり進むが、送りの時間は瞬時に過ぎて行く。出国ロビーの人々は、経過する時間を確認しては、ため息交じりに肩を落とす。心を痛める話題を避け、互いに黙視する人々の光景が目に留まる。
マルコスは亜紀の側から離れない。千香の肩に手を置き、時折小声で話し掛け和ませるる。
「あ~、間に合って良かった」
佐和がテレーザと一緒に駆けつけた。
「わざわざ、お見送りありがとうございます」
「本当にありがとう。突然に訪問してご迷惑でしたね。これからも、亜紀のことを宜しくお願いします」
「とんでもないです。園長から、多大なご芳志の礼を言付かって来ました。神様のご加護を・・」
「そうですか、園長には宜しくお伝えください」