忘れ水 幾星霜 第四章 ⅩⅢ
「亜紀、早く試着して、見せてよ」
彼女はおどおどと試着室に入り、怖々と着替えた。姿見の自分に心が奪われる。
《まあ、なんて華やかな色、ワン・ポイントの白い花びらが素敵ね。この色は、あれ以来ね。輝君、覚えているかしら》
恐る恐る試着室から出る。
「マルシア、ボニータ(綺麗)だ。誰かと思ったよ」
「やはり、亜紀にぴったりね」
輝明は、遠いあの日の服装を思い出した。
《水沢山のハイクの朝、オレが見惚れた色彩と同じだ》
「うん、亜紀さんには浅緑の色が似合う。それに、同じヘア・バンドをすれば最高だ」
《えっ、もしかして、あの時の服装を忘れていないの?》
しかし、値札を見て驚く。
「ダメ、こんな高価な服は着られないわ」
「いや、ボクからのプレゼントだ。結婚記念と思って、受け取って欲しいな」
「そうしなさい。輝坊ちゃんは、人にプレゼントした経験がないの。可哀そうと思って、受け取ってちょうだい」
千香の言葉に、直ぐ反論した。
「そんなことはない。千香ちゃんにどれほど要求されたか、覚えていないの?」
千香は平然と答える。
「私や子供たちは、あなたの義務でしょう」
マルコスがふたりの口喧嘩に、クスクスと笑いながら千香の背中を優しく摩る。
「わ、分かったから、喧嘩しないで・・」
亜紀がふたりの言い争いを止めさせた。
「いいのよ、亜紀! どうせ本を買うだけのお金があれば、満足なんだから。他に使う道がないの」
「じゃあ、素直に受け取るわ。ありがとう、輝君」
輝明は、千香にムスッとしていたが、亜紀の言葉で機嫌が直る。
「待って、私もプレゼントするわ。だって、その服に合う靴かサンダルが必要よ。あっ、それにマルコスにも・・」
「僕にも、ですか?」
「ええ、私はあなたが好きだからね。記念にプレゼント。さあ、これから靴屋さんへ行きましょう」
亜紀の服は、ほぼ直すことなく着られるが、袖口と丈を調整する。その間に、靴を選ぶことにした。亜紀はワンピースに合わせた白のサンダル。マルコスは流行りのスポーツ・シューズを手に入れ、千香に幾度もハグを繰り返す。
しばらく軽食の店で休む。その時間を利用して、亜紀が身の回りの用品を買いに行く。
「マルコス。ちょっと聞くけど、亜紀は生活に困っていないの?」
「そう、オレも気になっていたんだ。マルコス、教えてくれるかい?」