忘れ水 幾星霜 第四章 Ⅹ
亜紀は、千香の言葉を信じられないと、マジに彼女の目を覗いた。
「まっ、本当にそう思っているの? 千香!」
千香の顔が歪み、笑い出した。
「うふふ・・、ウソよ!」
「アハハ・・、あ~、驚いた!」
ふたりは仰け反り、手を叩き大笑い。そして、テーブルの上のカステラを食べ、ガラナを飲んだ。千香の顔が、スーッと真顔になる。
「亜紀、輝君との歳の差は無くなったわね。最後まで、大事にしてあげてね。天国に行ったら、伯母さんに報告する義務があるから・・」
亜紀の心に、えも言われぬ風が吹き、胸が締め付けられる。
「寂しいことを言わないで・・、私の大好きな千香! でも、大丈夫よ。輝君のお母さんに宜しく伝えてね」
「だって、仕方がないもの」
「いいえ、諦めないで。私より彼の方が、悲しむわ。輝君の前では、弱気なことを言わないと約束してちょうだい。お願いよ、千香!」
「・・、うん・・、分かった」
部屋のドアがカチャリと音がして、輝明が戻ってきた。
「あっ、お帰りなさい。早かったのね」
亜紀が先に声を掛けた。千香は顔を下に向け、黙っている。
「ただいま、うん、挨拶だけだったから。千香ちゃん、どうなの? 少しは楽かな?」
「輝君がいないので、寂しがっていたわ」
亜紀が先ほどの、お返しに応える。千香が直ぐに反応した。
「誰が寂しいの? 私は夫や子供たちが、傍にいないから落ち込んでいるだけよ」
《よし、タイミングよく話せるぞ》
「じゃあ、明日の便で帰るからね」
ふたりの目線が同時に輝明へ向けられた。ただ、ふたりの目線は、異なる思いが込められている。千香は、不満。亜紀は、戸惑いであった。
「どうして、明日なの? 一週間の予定でしょう。嫌よ。まだ帰らないわ」
《もう、帰ってしまうのね。胸が苦しい・・》
「うん、千香ちゃんの体が、一番よく分かっているはずだ。ブラジルの気候に慣れてしまうと、日本に帰ってから辛くなるよ。先ほどの先生も心配している」
亜紀は頷くが、千香は、まだ不服の様子。
「千香ちゃんの気持ちは、オレにも分かる。オレだって、まだ帰りたくないよ」
輝明は、チラッと亜紀の顔を見る。亜紀は真剣に彼を見詰めた。
「だけど、オレにとって、大切な千香ちゃんのことだ。帰ろう?」